【RTされた数だけグラアン書く(たぶん1/4)】 大文字Rはどのようにしてアポロンの純潔なくちびるを受けることに成功したか 階段下に酔っ払いが落ちていた。 最下段にあさく腰かけ、手すりにもたれ、時折いびきをかいていた。 アンジョルラスは通り過ぎてもよかったのだが、結局そこで足を止めた。いったい何が、そんな気まぐれを起こさせたかというと、店の静けさのせいだった。 夜も更けたミュザンはがらんとして、店主のカップや皿を洗う音が聞こえるばかり。 二階で書き物をしていたアンジョルラスも、ふと目にはいった時計の針に、あわてて荷物をまとめて降りてきたところだ。 多少なりとも知り合いだったから、情けとは縁遠い彼も、さすがに気が咎めたのかもしれない。ランパードにゆれる硝子細工の瞳をしずかに落とした。 「グランテール」 返事はない。 いつからそこで飲んでいたのか、足もとには空き瓶が一本ころがっている。がさがさした太い指は、まだ安物ワインの瓶をにぎっているが、中身はほとんど入っていなかった。 仕方なしに、アンジョルラスは彼の肩をゆすり、夢見る酔っ払いにも聞こえるよう、耳元ではっきり「起きろ」と言ってやった。すると、重たげな瞼がひらき、焦点の合わない目が、輝く巻き毛と青の虹彩をぼんやりとらえた。 「やあ、」 彼は笑った。 だがアンジョルラスは笑わなかった。ひどいアルコールのにおいが鼻をついたからだ。 「閉店の時間だ」 「まさか。ついさっきまで、満席だったじゃないか。それで、みんな君の話に夢中になってたろ」 「もう帰ったんだ。君も早く帰りたまえ」 「まだ飲み足りないね」 「じゃあ、よその店に行け」 アンジョルラスはそっけなかったが、次のグランテールの言葉に、少しだけその冷たいくちびるを噤んだ。 「ここじゃなきゃいけないんだ。家から近いし、なんといっても君がいるからな」 彼は酔っ払いらしく深いため息を漏らした。それから、自分の言葉にまで酔ったみたいに、据わった目にうっとりした光を湛えて続ける。 「僕は君が何か話すのを見てるのが楽しいんだ。なあ、君も一緒に飲まないか? 二人で飲んでいるなら、追い出されないかもしれない」 「僕は遠慮する。何にしても、店に迷惑がかかる。さあ、帰るんだ」 「いやだね」 子どもよりひどい聞き分けのなさだった。 グランテールは苛立つ白皙を見つめてから、ふいに悪戯っぽく歯を見せた。 「もし、君が僕にくちづけの一つでもくれたら、なんでもしてやるよ」 「なんだって?」 アンジョルラスは呆れた。 「君は僕のことなんてお構いなしだし、僕は君の思想とか主義の話はわからない。それでも、多少なりとも君に……そう、友愛の念ってやつを抱いている積もりだぜ」 だから、とグランテールは皮肉たっぷりに笑った。眉を寄せ、くちびるを片方だけ上げた顔は、ともすると何かに耐えているようにも見えた。 「だから君にだって、少しくらい友愛の念を抱いてもらいたいね」 血走って夢想的な瞳は、傍から見ても、真ともな様子ではなかった。このひどい酔っ払いは、冷たい大理石の彫像をからかって楽しんでいるつもりなのだろう。 アンジョルラスは軽蔑と、憐みさえおぼえた。それから「どうせ、できないとでも思っているのだろう」という、わずかだが確かな苛立ちも。 「いいだろう。そのかわり、本当に帰るんだ」 学生たちに毎日踏みつけられるせいで、階段は清潔とは言い難かったが、アンジョルラスはためらいなく膝をつく。そして、ワインのきついアルコールに顔をしかめ、酔漢の頭を乱暴に抱き、蟀谷にくちびるを寄せようと身をかがめた。 酔っ払いの耳は熱く、無精ひげがアンジョルラスの柔肌をざらざらとこする。 ジャケット越しでも、アルコールで高まった体温と心音がつたってくる。 癖のあるかたい髪は、白い頬から首すじをくすぐっていった。 ふたりの肌がふれそうなほど近づくと、互いの体温がそのわずかの空間をゆきかう。 けれど、そのぽってりしたくちびるが蟀谷にふれる一息前に、グランテールはひょいと身を躱した。 「冗談さ!」 そうおどけて、驚くアンジョルラスに舌を出す。 「……からかうのもいい加減にしろ、酔っ払いめ」 アンジョルラスは苛立ちもあらわな声でぴしゃりと咎め、首を振った。 「だってこうすれば、君がかまってくれるだろ?」グランテールはまたふにゃりと笑う。「君ともっと話がしたいんだ。なんでもするから」 彼は節くれだった指先でアンジョルラスの上着の裾をつまみ、火照ったくちびるを寄せた。そっと、こわれものにするみたいに。 アンジョルラスは少し戸惑ったし、正直なところ、あまり良い気分にはなれなかった。 「君が何をしたいのか、さっぱりわからない。そもそも、今の君に真ともな思考ができるのか、僕には疑わしいが」 こぼれた言葉には、少しの軽蔑と多分の呆れの色が混じった。彼の上着の裾はまだ捕らえられたままだった。くちづける男の瞼は伏せられていて、アンジョルラスには、その表情が物語る切なさを読み取ることはできなかった。 「そうだよ、僕にはすべてが、疑わしい。……君の裾に、ふれてるってことだけが、真実なんだ……」 くぐもった声は、眠気を孕んで途切れがちになり、やがてしずかな寝息に変わった。 「グランテール」 意識を手放した熱い体が、アンジョルラスに寄りかかる。眠りこける男を、元のように手すりにあずけて、今度こそアンジョルラスは彼を無視して立ち去った。 本当は、狸寝入りだった。 酔っ払いの懐疑派は、去りゆくアポロンの規則正しい足音を聞きながら、自分でも得体の知れない切なさを味わう。 長い間、アンジョルラスを眺めることだけが楽しくて嬉しくて仕方なかった。そこに苦しさと痛みを伴うようになったのはいつからだったか。理由は知らない。いや、心の奥底ではその感情の名前を知っていたが、見ないふりを続けている。 くちづけを強請るなんて、どうかしていた。 彼は今夜の全てが夢になることを願いながら、今度こそ本当に眠りに落ちた。 グランテールが寝入った後、先ほど去ったはずの足音が舞い戻った。 「世話の焼ける男だな」 溜息まじりに呟いて、アンジョルラスは水の注がれたグラスを手に屈みこむ。 「こうしてやれば、君は何でもしてくれるんだって?」 感情の乗っていない白い指が、ざらつく無精ひげを一撫でする。それから蟀谷に花びらみたいなくちびるを、かすかに、ゆっくりと落とした。 これまで、彼はその行為を「友情や愛情の証」として行ったことはなかったし、彼自身も、ほとんど与えられたことはなかった。だから、彼にとっては意味を持たない行為だ。けれど、そんな行為でも、くちびるにつたう体温は思いの外あたたかかく、それはアンジョルラスが初めて知ったぬくもりだった。 「……やっぱり、起きないじゃないか」 こぼした声は、ほんの少しだけ、残念そうに響いた。 眠り続けるグランテールは、その純潔のくちびるが、どんなにやさしく自分にふれたのか、知ることはなかった。 (2013.03.23) |
一人称と口調が謎すぎる。