RTされた数だけグラアン書く(たぶん2/4)】


「アイアンメイデン」









 パリの夜に雨が降りはじめたとき、ミュザンには誰もいなかった。ただ二人を残して。
めずらしいことに、アンジョルラスは傘を持っていなかったらしい。困るな、とつぶやいた横顔は、店を照らすケンケ灯の灯りに揺れていた。
 彼はしばらくの間雨だれをながめていたが、ふいにグランテールを振り返った。
 アンジョルラスの横顔と雨に濡れる町は、完成された一枚の絵画のようだったので、見蕩れていたグランテールは動揺した。けれどアンジョルラスは、グランテールの視線についてはすべて承知していたらしい。深い瞳は迷いなくグランテールの視線をからめとった。

「君の部屋に泊めてくれないか」

 グランテールにとって、これは頼みごとというより、ほとんど強制だった。さらに、アンジョルラスはこう続けたのだ。「僕を、君の好きにしていい」

 純潔の唇からこぼれた声は、めずらしくかすれて震えた。それはまさしく天上の響きで、酔っ払いの鼓膜から脳の奥深くを、どんな酒より甘く激しく揺さぶった。
 すでに酔いは冷めていたのに、現実なのか夢なのか、彼には何もわからなかった。
 ただ、透きとおる硝子の瞳が潤んで揺れるさまだけが、現実のものとして、くっきり網膜に焼き付いた。

「グランテール」

 気づけば天上の音は唇に触れそうなほど近くから聞こえていた。衣擦れの音が耳の奥に届く。そっと背にまわされたのが彼のてのひらだと理解した瞬間、グランテールは陥落した。

 雨脚がひときわ強くなった気がしていた。











 動くたび軋みをあげる、安い中古のベッドにもつれこむ。
 ミュザンの隣に部屋を借りたのは幸いだった。窓の外の雨音は続いている。それが部屋を包みこみ、この世界にただ二人きりのような錯覚を覚える。もちろん、グランテールにはそれで十分だったし、いっそ、それ以上の幸福など存在しないだろうと思った。

 揺れる巻き毛を指先で遊ばせ、潤んだ唇を何度もついばんだ。
 処女の唇はかたく閉ざされていたが、半ば強引にこじあけると、意外にも素直にざらつく舌を受け入れてくれる。
 薄く花びらみたいなアンジョルラスの舌は、グランテールよりわずかに低い体温を伝えてくる。音を立ててそれを吸い、古ベッドに華奢な身体を横たえた。
 骨ばって乾いたグランテールの指は繊細に動いて、アンジョルラスの着ていたシャツの飾りボタンを器用に外してゆく。彼は夢中で、まったく余裕がなかった。シャツの下から白磁の胸元があらわになると、めまいがしたほどに。
 雨のせいか、部屋はいつもより冷えていた。青白く細い肩にはうっすら鳥肌が立っている。冷えた体をあたためたくて、グランテールは薄い背中をかき抱いた。腕を回し、肩口に顔をうずめて体温を与える。ブロンドの襟足からの清潔なよい香りに、グランテールはさらに火照らされ、煽り立てられる。
 長い足の間に身体を滑り込ませると、昂りを柳腰に押しつけ、耳たぶを甘く噛んだ。

 と、そこまで来てグランテールは違和感に気がついた。
 こういう時につきものの、独特の甘ったるい声を、今夜はまったく聞いていない。
 彼はすっかり上がった息を整えながら、アンジョルラスの様子をうかがった。と、不思議そうに見つめる視線とかち合う。

 アンジョルラスは男で、しかも、誰かと肌を重ねたことがないのだ。
 グランテールは唐突に、生々しい実感をともなって悟った。
 「無垢」とは、こういうことなのだ。今まで彼の相手をした商売女や遊び好きの蓮っ葉娘たちとはあまりに違う。彼の高貴な純潔さに、グランテールはおおいに酔った。
 大事に大事に抱かねばならない。生娘よりも、ずっとやさしく。

 まだぼんやりしている彼の鼻先に口づけ、もう一度やわらかく唇を奪う。慣れないせいか、彼はされるままになっているが、抵抗はない。
 誰もふれたことのない肌を、彼の無骨な手が辿る。はやく性の快感を覚えさせたくて、寒さでわずかに上向く胸の先をちゅっと吸った。そこは薄桃に染まり、貞淑でいながら、そのくせグランテールを誘惑する。
 舌をくすぐる心地よい弾力に夢中になり、指先でもうひとつの先をつまんだ。
 だが、アンジョルラスは、甘い声どころか身じろぎひとつしなかった。
 彼はゆったりと目を閉じていた。その息も心拍数もまったく上がっていないし、羞恥や快感に身を染めているわけでもなかった。
 この状況を知らない者が彼の顔だけを見たなら、多分よく眠っているように見えただろう。
 そう、よく眠っている。あるいは息絶えたようにも見えるほどだ。
 グランテールが戸惑っていると、長いブロンドの睫毛がふるえ、宝石みたいな青の瞳がのぞいた。

「どうしたんだ?」

 照れているわけでも、嫌がるわけでも、怒るわけでもない、まっすぐなアンジョルラスの視線がグランテールをまじまじと見つめている。正直なところ、気まずかった。

「ええと、……その、アンジョルラス?」

「なんだ?」

「どうかな? あまり……気持ち良く、ないのか?」

 グランテールは努めて明るい声を出した。こういうときは盛り下がらないように注意が必要だ。間違っても相手に『自分が悪い』と思わせてはならない。
 アンジョルラスは小首を傾げ、ちょっと考えてから、「いや」と首を横に振った。「気持ちいいと思う。犬に懐かれてるみたいな気分だ」

 グランテールは作り笑顔のまま凍った。

「……犬、」

「そうだ。むかし、幼馴染がおおきな黒い犬を飼っていて、うらやましいと思っていたんだ。あれにじゃれつかれたら、どんなに心地良いかと思って。ちょうどそれに似てるいから、とても気持ちがいいよ」

 グランテールは絶句した。
 とりあえず、アンジョルラスのご機嫌は良好で、気持ち良いとまで言っている。でもそれは、グランテールの言う『気持ちいい』とは明らかに方向性が違う。
 彼に性感帯はないのだろうか? 清純すぎる彼は、生まれる前にそんなものどこかに忘れてきたのかもしれない。

「どうしたんだ? もういいのか?」

 良いわけないに決まっている。

「初めてだったからかもしれないが、みんながこれに夢中になる理由は、僕にはよくわからなかった」

 男として決定的にダメだと言い渡されたようなもので、グランテールはぐうの音も出なかった。

「だけど、君が満足したならいいんだ。僕はなんだか眠たくなってきたよ。今日はもう遅いし、眠ろうか」

 グランテールは打ちひしがれた。
 アンジョルラスが悪いのではない。いや彼に経験がないからかもしれないが。それか、やはり本当に天の使いなのか。
 少し寒いと言い、アンジョルラスは布団にもぐりこむ。
 眠たげな瞳からは昼間の鋭さが消えていて、とろんとした表情は今すぐにでも頂いてしまいたいほど愛らしい。
 眠りたいわけなかった。こんな機会はまたとないはずで、泣かせてでも抱くべきだと頭では分かっていた。だがこの状態から挽回するのは、グランテールには不可能だ。先ほどまで轟々と燃え盛っていたはずのかまどは、水を掛けられたみたいに鎮まっていた。
 せめても、と、グランテールは鉛みたいな重い身体に鞭打った。

「……腕枕をするよ。いや、させてくれ」

 彼はアンジョルラスを腕の中に抱き、小さな頭を腕にもたせた。細いブロンドの巻き毛が腕と頬をくすぐり、いい匂いが鼻先を掠める。
 彼が逃げることもなく、軽蔑もせず、この腕の中にいる。それだけで救われる心地がした。焦る必要などないのだ。きっと自分だけが焦っていて、二人の間に温度差があったのだろう。これからじっくり愛していけばいいだけのこと。
 愛しさを込めて腕の中を覗きこむ。すると、赤みがかった瞼がぱちりとひらいた。

「アンジョルラス?」

 上目づかいの視線に心臓が跳ねた。口づけを強請られているのかと気づいて目を細める。だが、グランテールの耳に聞こえたのはこんな言葉だった。

「すまないが、首が痛い。君も腕が痛いだろうから、これはやめにしよう」

 その日、心地よさそうに眠る天使の横で、グランテールは泣いた。
 雨は当分、止みそうにない。












 翌朝には、グランテールの用意した朝食を二人で食べた。
 ハムとブルーチーズと、バゲットを軽く焼いた簡単な朝食だ。
 こんなものは誰だって用意できるのに、それでもアンジョルラスは美味しいと言って少しだけ微笑んだ。
グランテールの知る限り、彼の笑顔を目にするのは初めてだったから、嬉しくてなぜかぎゅっと切なく胸が詰まった。
 満足そうな天使を見つめるグランテールは、まだしばらくは右手と仲良くするしかなさそうだった。



(2013.04.05)


Q.どうしてうちのグランテールはこんなに可哀想で気持ち悪いの?
A.書いてる人が可哀想で気持ち悪いからです。


この展開から、Eさんが積極的になってくれるようになるまでを見たいので誰か書いてくださいお願いします。