※CAUTION※
◎RE最期(話の流れ:原作準拠)
◎ただのポエム





 初恋





 その瞬間まで、彼はほほえみというものをほとんど知らなかった。

 あれほど覇気に満ちていた青年は、いま、呆然と立ちすくんでいた。力強い叫びは遥か天井から降りそそぎ、朽ちかけた酒場に響き渡るように聞こえた。
 他の誰でもないこの男が、一度だって、冗談でもABCの思想に共鳴しなかった男の唇が「共和万歳!」と叫んだ。声が鼓膜を打つたび、傷ついた大理石像は、凍えた心臓が再び脈打ち、あたたかい血液が流れこむのを感じた。
 この酔漢についての記憶が、残らずすべて脳裏によみがえり、ちかちか瞬いた。
 アンジョルラスはいったいどんな顔をしていただろう?
 彼はこの男に同情をかけていたから、いつか奇跡が起きた日には、堕落した酒樽に手を差し伸べ、導いてやれるだろうと、不遜な希望を抱いていた。それなのに。
 救世主をみつめる民は、きっといまの彼のようだったのに違いなかった。
 男がアンジョルラスについて、常々「太陽神みたいだ」と口にしたけれど、死の影の谷をゆく青年の目には、このグランテールこそが光で、神に限りなく似たものにうつった。
 羊飼いは道に迷った子羊を必ず見つけ出し、光へ導くという。それは千年も越える昔からさだめられた約束だった。
『ここで眠らしてくれよ、僕がここで死ぬまで』
 すべては約束されていた。酔漢が二階の隅で昏睡していたのは、この言葉が現実のものとなるためだったのだ。


 孤高の魂と孤独な魂は寄り添い、重なり、結ばれた手のなかでひとつになる。
 乾いて骨ばった手のひらは、アンジョルラスのそれより幾分大きかった。
 彼が果てる一瞬前に何を思い浮かべたか、それは誰にもわからないが、あるいはその男のあたたかさを思っていたのかもしれない。

 銃声が響き、ふたりの誓いが果たされた。垂れた頭と伏せた顔には、ほほえみだけが残っていた。


 こうして、アンジョルラスの初めての恋は、永久の中で成就する。








 
(2013.06.06)


レミゼ原作のバリケード陥落を読んだとき衝撃に震えた手で書き殴ったポエムを引っ張り出しました。
正直なところ恥ずかしすぎて反省している。
一瞬の手つなぎは、どんな友情、愛情、ふれあいよりも深い交わりだったらいいですな。
でも結局ラブオチにしてしまったので、やっぱり反省している。



1832年6月6日、ふたりと、ル・シャンヴルリー通りに殉じたすべての人が安らかに憩わんことを。