冬の夜だった。空っ風がコートの裾をはためかせ、彼の髪を揺らし、路地裏まで駆け抜けてゆく。凍てついた外気に耳がきんと冷えていた。 ここ最近は温暖化で、去年の夏、熱波がパリを襲ったのも記憶に新しい。けれど暖冬になるかといえば、そういうわけにもいかないらしい。大きく身震いして、コートの襟を立てた。目的の店はもうすぐだった。 角を曲がったところで、店の前に人がいるのを見つけた。ダウンジャケットにくたびれたジーンズ。かかとの踏みつぶされたスニーカー。見覚えのない影だった。赤い頬は寒さのせいというよりは、アルコールによるもののようだ。大分酔っぱらっているらしい。おぼつかない足取りで、ほとんど立ち止まっているように見えた。そしてしきりに頭上に視線を遣っている。何をながめているのだろう。 けれど、そんなことはどうだってよかった。それ以上詮索することもなく、思考の外に追い出して、そのまま何事もなくすれ違うはずだった。 すれ違いざまに、彼と視線が交わった気がした。 酒で濁っていながらも、ものごとの本質をとらえるような、複雑で意味ありげな瞳。店の窓から暖かい光がこぼれおち、彼の髭面の頬と癖のある髪をほのかに優しく映し出した。 なぜか感じる既視感に、心臓が大きく脈打った。 一瞬の出来事だったが、そう思えないほど濃密で深い交わりがあったような気がしたが、互いに言葉はなく、ただすれ違うのみ。 店の扉を開ける前に、彼は少しだけ足を止めた。振り返り、まだのろのろ歩いている酔っ払いの後ろ姿を認める。そしてそのまま、視線を遥か上空に向けた。 頭上に冬のオリオンが迫っていた。その場所は、街灯と店からこぼれる窓明かりが丁度途切れていたのだ。幾分まばらではあるが、冬の澄みわたる夜空に白く清浄な光がちらばる。 さきほどの酔っ払いが見ていたものは、この深く澄んだ夜空なのだろう。 なんてきれいな眺めだろう。 アンジョルラスは目を細める。彼自身も知らずのうちに、その口元には笑みがうすく引かれていた。 冬はやがて終わり、再び春が巡ってくるだろう。