※CAUTION※ ◎けはら様が描かれていたリク企画の作品から、勝手にインスピレーションさしていただきました。 【けはら様の素敵元作品:http://t.co/xwWY6N0qGc】 ◎とてもグラアンですご注意。 ◎黒グランテールご注意。 ◎2012年映画寄りです。(6月4日の夜にマリウスがABCに戻っている前提) 毒 肩にふれていた手が離れる。指先だけ、名残惜しそうに背を追いかけて揺れた。不気味な静けさが満ちている。壁の隅や階段には、まだ興奮と熱気の余韻がちらついていた。階段を下りる足音が完全に遠ざかると、階下にはりついていたアンジョルラスの視線が、ようやく二階に戻ってきた。 部屋には誰もいないと思っていたらしい。ふり返った青年は、カウンターからの視線に、幾何かおどろいたようだった。見開かれた目にかすめた動揺は、アルコールで鈍った目にも、はっきりと見て取れた。けれど、アンジョルラスはすぐに何事もなかった顔に戻り、窓際まで歩み寄る。上着を取りにきたのだ。 カウンターの奥から酔っ払いのまなざしが突き刺さっても、声をかけるどころか、視線を遣ることもなかった。ただ、熱視線に感づいているのは確かで、苛々と指でこめかみを揉んでいる。 「みんなは、もう帰ったのかい?」 「……ああ。明日のことがある、今日は早めに休ませるべきだ。……君ももう帰ったほうがいい」 もっとも、君には関係ないかもしれないが。 突き放した声は、皮肉と苛立ちが混じって濁った。彼は酒飲みがここにいる理由を見つけられずにいるらしい。 けれどグランテールは相変わらず黙って上着に袖を通す姿をながめた。それが気に障ったのだろうか。彼はこちらを見ないまま、不機嫌そうな声を出した。 「なにか言いたいことでもあるのか?」 「いや、なにも。そうだな、景気づけに一杯、どうだい?」 グランテールは軽い調子でグラスを持ちあげた。アンジョルラスは迷ったようだったが、めずらしく「少しだけ」と歩み寄ってきた。神経質そうな足取りは、いつもとまるで変わるところがない。けれど、興奮か緊張か、そういったものが少しずつ、袖口や足音からこぼれ落ちているようだ。 葡萄酒の注がれたグラスをすすめると、言葉もなく受け取り、すぐに口をつける。彼は普段からあまり酒を飲みつけないので、その性急な仕草もめずらしかった。嚥下する喉のかたちと寄せた眉が、やたら魅惑的だった。 「マリウスは戻ってきたんだな」 彼は顔色をうかがうように覗きこむが、あわれにも無視された。アンジョルラスの視線は、ずっとグラスに視線を注がれたままだ。 「でも、どうして戻ってきたんだろう?」 アンジョルラスに尋ねたのか、自身への問いかけなのか、グランテールの口調は曖昧だった。 「どうしてだって? 僕たちの革命に加わるためだ」 「そうかな?」 グランテールは葡萄酒の瓶にじかに口をつけた。含みのあるその態度にかちんと来たのだろう。アンジョルラスは眉をつりあげた。 「彼は長いことずっと、この革命に何より情熱を注いでいるんだ。そうに決まってるじゃないか」 目は酒におぼれていたが、その顔に浮かんだ少し焦りの色は見逃さなかった。 「ずっと一緒にやってきたから、彼女より理想や信念を選って信じているのかい? 自分たちの革命への情熱は、ひとときの恋の情熱に勝てると?」 「……何が言いたいんだ?」 アンジョルラスは静かに、そして厳しくグランテールを見据えた。これまで何度も軽蔑のまなざしを受けてきたが、凍りつくようなまなざしを向けられたのは初めてだった。 「当たり前だろう。一時の気の迷いと、今迎えている局面と、どちらが大事かなんて、誰でもわかる。彼にもそう言ったんだ、知ってるだろう」 「そうかな。そうかもしれないが、少なくとも俺の目には、マリウスはまだ恋に燃えているように見えるけど」 「……じゃあ、なぜわざわざ戻ってきたというんだ」 「死に場所を求めてるのさ」 「何だって?」 アンジョルラスは凍りついた。 「いいかい? 俺にはわかる。マリウスは失恋したんだ。振られたのか相手に別の男があったのか、身分が違うのか、引き裂かれたのか知らないが、あれはそういう目だ。彼は恋に絶望して、死に場所を求めてここにもぐりこんだのさ。君とともに革命する気などないんだよ」 グランテールは、もうずっと前から底言葉を考えていたみたいによどみなかった。実際、彼はマリウスの行動の動機に確信を持っていた。 「何を馬鹿なこと言ってるんだ。第一、革命は死に場所じゃない。飲みすぎだ、葡萄酒をやめたまえ、そして外で頭を冷やしてくるがいい」 声は静かだが低く、怒りをにじませていた。こんな彼の声色を聞けば、誰だって口がきけなくなって、おとなしく引き下がる。けれど今夜の酒飲みには、何の牽制にもならなかった。 アンジョルラスは、もうたくさんだと首を振り、飲みかけのグラスを置き去りに立ち去ろうとした。その顔には、隠しようもないあせりがちらついた。踵を返す手前で、不安そうなまなざしを窓の外に遣る。その横顔にグランテールは畳みかけた。 「マリウスを連れ戻す積りかい? 明日の朝、来ないかもしれないって思ってるのかい?」 「ちがう、」 低い声は鋭いものを含んでいたが、瞳は確かに揺れうごいた。 それは、グランテールが初めて目にする彼の表情だった。切実な、不安そうな、傷つき、悲しんでいる、年相応のただの青年の顔だった。 酒飲みは、彼にそんな顔をさせるマリウスがうらやましくなった。いっそ、やつを憎めたらよかったのに、それができない自分自身に嫌気がさす。自己嫌悪を忘れたいのか、それとももっと自分を苦しめたいのか、自分でもわからない。アルコールの毒は急速に脳髄をゆさぶり、精神をむしばむ。そして、ひどい頭痛をともなって、かすかに残っていたはずの判断力をも食い尽くした。 「違わないね。君はこれから階段を下りて、誰か残っていないか、明日の準備が完璧に整っているかを確認する。それから、マリウスを連れ戻しに外に出るだろう。さあ、それでどうなると思う? 君は彼を連れ戻すのに成功するんだ。マリウスは優しいやつだ。そんなに焦った君を見放すわけがない。だが彼は今しがた証明された通り、打算的でもある。君を自らの愛への殉死に利用しようとするだろう」 「やめろ!」 激しい口調は叫びにも似ていた。 「君は彼の何を知っている? 僕たちの思想を嘲う君に、僕らの何がわかるって? 僕と彼が築いてきた革命の何がわかるんだ!」 僕のやることが気に入らないなら、一刻も早くここを立ち去ればいい。 彼は吐き捨てようとしたが、言葉は最後まで続かなかった。突然、腕を捕らえられたからだ。 酩酊気味だったが、酒飲みの思考は奇妙なほど澄んでいた。つかんだ手は、ふりほどこうと反発してくる。それをゆるさず、彼の胸先までひと息に距離を縮めた。息をのむ音がする。ちらりと視線を上げれば、きゅっと引き結ばれた唇が、ぽってりうまそうに見えた。 この幼い唇で彼は神託を紡ぎ、殺人とギロチンについて語るのだ。まだ恋も知らない、この唇で。 「……俺がマリウスの何を知ってるかだって?」グランテールは唇の端をゆがめてわらった。「すべて知ってる。君よりよほど、あいつの気持ちは理解できてるよ」 アンジョルラスはそこでようやく、酔っ払いの様子が常と違うのに気づいたらしい。本能的に危機を察したのか、動物的な動きで肩を竦ませる。この手が彼にそうさせているのかと思うと、やりきれなさと情けなさと、どうしようもなく湧き上がる濁った感情に突き動かされた。どういうことだ? とこぼれたかすれ声が耳の中で乱反射する。 「わからないのか? 君は恋を知らない。恋の苦しみを知らないだろう?」 「苦しみ? 何を言ってるんだ。君たちの言う恋なんて、浮ついた道楽だろ」 政治の話ではあんなに聡明だというのに、まるで馬鹿や白痴のようで滑稽だった。 「君は何もわかっちゃいない。恋に焦がれるつらさ、恋と気づかぬふりをするために、無為な努力をかさねる苦しみ、決して振りむかれないこの空虚な心、全部知らないんだ。マリウスも俺と同じ気持ちだろう。だから断言できる。彼は断じて革命に身を投じるために戻ったんじゃない」 「やめろ! ……っ」 椅子とテーブルの脚がひどい音を立て、床がきしんだ。はずみでグラスと酒瓶が傾いで倒れる。瓶は床に転がって、グラスはテーブルに円を描いて滑り、落下する直前で動きを止めた。葡萄酒がこぼれ、テーブルの淵と、目の前に広がる白磁の頬に金糸の髪に降りそそぐ。赤だ。 汚い床に磔にするのは、唇を奪うよりずっと簡単だった。 背を激しく打ち、咳き込む肩を押さえつける。どこにそんな力が残っていたのか、グランテールは自分でもわからなかった。ただ、いっそ憎しみに近い激情が身体を支配している。 「君が革命に身を投じるなら、その前に想いを遂げてしまいたい。どうせ人生なんてただの時間の浪費だ。どうなったって知るもんか。死ねばすべて終わり、そこに意味なんてないんだ。……でも、でも、この苦しさは本物で、どうしようもなく胸が痛い。俺だって、こんな想いを消すように努力したさ! でも駄目だった」 深い青の瞳は茫然と見開かれていた。その青い虹彩に映るのは、この哀れな獣なのか、埃っぽい天井か。ただかすかに手が震えているのが感じられた。ようやく開いた唇からこぼれた声も、途切れて震えていた。 「なに、してるんだ、どいてくれ」 「俺だって、どうしたらいいかわからない! 君にしか、どうにもできないってことだけは、わかってる。だがそんなこと、君に強要できるわけがないだろ……」 ずっと喉につかえていたものを言葉にしたら、爆発しそうに凶暴だった激情は、急に萎れて溶けて、深い悲しみの色に変わった。 ベストの飾り釦を無理やりに外し、シャツの上を乱暴に這っていた指は、いつの間にか、静かに彼の心臓の上におさまっていた。こぼれた葡萄酒と彼の髪の匂いが混ざって、たまらず首筋に顔をうずめる。そっと首筋に唇を押しあてると、ぴくんとその身がふるえた。 「……ごめんアンジョルラス、俺はきっと、君に焦がれて少しおかしくなってるんだ」 グランテールがなにを強請っているのか、おそらくアンジョルラスもわかったのだろう。身をこわばらせ、息を殺している。心臓はどくどく脈打ち、グランテールの手のひらに生の証を伝えていた。少年の日に、小鳥を手の中に抱いたことがあったが、ちょうどその鼓動と体温に似ているようだ。 彼は胸にそっと顔を寄せ、服の上からアンジョルラスの心臓に口接けを刻んだ。 「ほら、恋はこうして人を狂わせるんだ、君には理解できないだろうが。いや、理解する必要もない。君はまっすぐで純潔で、こんなに醜い感情なんて知らないでほしいんだ。君だけは恋に狂わないでくれ。……だから、頼む、マリウスのところになど行ってくれるな、アンジョルラス」 誰のものにもならないでくれ。 掠れた声が、せつなくせつなく、空気をふるわせた。 「……ぼくは、僕は、祖国のために生きると、誓った」 アンジョルラスがやっとのことで、言うべき言葉を探し出す。酔っ払いは黙ってそれを聴くだけで、甘えるように彼の胸に頬を寄せた。 「だから、君やみんなの言う恋や愛も、僕にはわかっていないのだろうし、これからも必要ない」 声は乾いていたが、すっかり落ち着きを取り戻していた。彼が決意に満ちた言葉を紡ぐと、重なったふたつの胸がふるえる。その振動は、孤独な酔漢の心をじかに揺さぶった。真心からの愛と純潔を、祖国へ捧げた天の御使い。その気高さゆえの淋しい魂に気づき、心臓がぎゅっと鷲掴みにされる。 「誰も愛さないし、誰からも愛されない。ただ祖国だけを想っている。僕は、そういう男なんだ。自分でわかっている。……だから、君もこんな茶番はよしてくれ。君には、かわいい女の子が似合いだよ」 アンジョルラスは、誰からだって愛される素質を十分に備えていた。 まっすぐ正直な性格、信念に生きる情熱、理知的な物言い、美しい容姿。実際、ABCの友はアンジョルラス自身のその性格とリーダー性に惹かれている。みんな彼のまっすぐさを愛し、自由への信念を尊敬し、彼の思想にあこがれと夢を抱いている。思考のゆがんだこの懐疑家すら夢中にさせるほど。 それなのに、彼はひとりで進むと決めているのだ。どんなに険しい道も、どこまでだって、たったひとりで行くのだと。 グランテールには、それは胸がつぶれるくらい淋しいことに思えた。一体どうやって彼の心に寄り添えばいいだろう。ひどい絶望感と、アンジョルラスの永遠の孤独に打ちひしがれる。 「ごめん、アンジョルラス」 グランテールはもうすっかり気落ちしてしまった。ゆっくりと起き上がり、ひざまずいてアンジョルラスを抱き起こす。肩を抱くと、すこしだけ震えたような気がした。 彼は髪や頬に残った葡萄酒の跡を、シャツの袖で無造作に拭う。シャツを一枚だめにしてしまっただろう。弁償しなければと、グランテールはぼんやり考えた。 みじめに乱された衣服をただすと、アンジョルラスはもう何事もなかったような顔に戻っていた。それでもすこし足がおぼつかないように見えるのは、アルコールのせいだけではなさそうだった。 「アンジョルラス」 呼び止めた声は、自分でもはっきりわかるほど、切実に響いた。階段を降りかけて止まった彼の脚。グランテールの呼びかけの意味は十分伝わったらしい。 「……マリウスのことは、追いかけないさ」 決して振りかえることなく それだけ残してく彼は去った。階段を行くまっすぐな背中に、彼の深い孤独と、自身の罪を想う。 グランテールはアンジョルラスに毒を盛った。 誰のものにもなるなという、猛毒を。 彼の孤独を知りながら、さらに重たい足枷をはめたのだ。 愛の言葉は呪いと似ている。彼の心臓が動きを止めるまで、毒はゆっくり彼を蝕む。彼は純潔と孤独を背負ったまま、決して誰のものにもなりはしないだろう。 罪悪感に胸がつまって、グランテールはたまらずまぶたを閉じる。 もうすぐ訪れる終りの日には、絶対に彼を一人にはしないと、心の奥でひそかに誓う。その時が来れば、彼はアンジョルラスの永遠を手に入れることができるだろう。 それは、この罪深い懐疑家にとっても、どんな酒よりも恐ろしく甘美な毒だった。 (2013.06.19) |
グランに強行させるか否か迷いました。
多分「ごめん」って謝りながら強行する方が正解だったと思いますが、今回はここまでで寸止め…
どこかで見かけた展開だと思っていたら、アレでした、ベルばらでした。
王道テンプレが好きなもので、一つお許しいただければ……;;
この寸止めじゃない版も書きたいです。
妄想萌え燃料をくださったけはら様、誠にありがとうございました!!