個人面談 部屋の正面奥右手には古いモデルのパソコンが置かれた机、左手には青い小汚いソファがある。だがそれらはひしめき合う本棚のせいで、入り口からはよく見えない。 ソファの前にある大きなテーブルは、書類で埋もれかけている。ゴミ箱代わりのみかん箱の足元には、スニーカーと革靴。 それでも机の上は整頓されて、内緒で吸っているタバコ用の灰皿は、きれいに灰が片付けられていた。 いつもの雑然とした国語準備室で、坂田先生は桂少年を待っていた。 準備室に入ってきた桂少年は、呼ばれた理由がさっぱりわからない、という顔をしていた。 「座って」 坂田先生はソファを示す。 桂少年は一瞬汚いものを見るような目でソファを見やった。それでも大人しく桂少年はソファに腰掛けたが、大変失礼なことにソファの上のタオルケットとジャンプをつまむようにして脇へよせた。 坂田先生はキャスター付きの安い椅子に座って脚を組む。 「今日ここに来てもらったの、どうしてかわかる?」 「わかりません」 坂田先生はため息をひとつ落として、テストの問題用紙を桂少年の前に放る。はずみでテーブルの上の書類が音をたてて落ちた。桂少年はそれを拾って机の上に置く。 「テストの件だけど。まず確認するけど、テスト受けてたのって桂くん本人だよね?ヅラかぶった影武者とかじゃないよね」 「影武者じゃありません、桂です」 「じゃあ、あの答案は何?先生びっくりしたんだけど」 「ああ、エリザベスがとっさに機転を利かせて海の中から機関銃を撃ったところですか?」 「いや、そこもびっくりしたけども。そうじゃなくて」 「?」 「桂くんさぁ、解答欄いっぱいに答え書いてくれたけど、これ解答じゃないでしょ。あきらかにおかしいでしょ」 「おかしい?」 「おかしいだろ。誰が作文しろっつったんだ」 他の教科は良すぎる点数なのに、と坂田先生は続ける。 「ほらここ。『主人公の心情を答えろ』っていう問題。問題と全然関係ないでしょコレ」 坂田先生は今度は桂少年の答案の写しをテーブル放り投げた。また書類が落ちて、また桂少年はそれを拾った。坂田先生は答案用紙の一箇所を指差す。 「この解答は、このとき主人公が考えていたことを推測して書きました」 桂少年はなぜか自信満々だった。頭がこんなにも危機的状況なのに、どうしてこんな風に堂々としていられるのか、いっそその度胸の秘訣を聞いてみたいと坂田先生は思う。 「どうしてそうなるの?!問題文ちゃんと読め!書いてるだろーがここに「身体疲労すれば、精神も共にやられる」って!」 「その、身体疲労して精神も共にやられた心情を、海賊春雨に囚われたエリザベスの心情で表現してみたんです」 「あーわかったから。とにかくお前、苦手なんだろ国語。っていうか国語って教科をわかってねぇんだな」 「そんなことはありません。ただ」 桂少年は今までの自信満々な態度を変え、気まずそうにうつむいた。 「昔から、国語だけはどんなにがんばっても点数が取れないんです」 「・・・お前、そういうのを苦手って言うんだっつーの。桂くん、塾とか行ってんの?」 「そろばん塾に行ってます」 「そろばん・・・」 桂少年は困った様子でじっと目の前の自分の答案を見つめている。 たしかにこいつは頭が良いはずなのだ。 記述式問題の解答も、たしかにそこはかとなく問題の内容に関係あるストーリー展開になっている。 「本文中の言葉を用いて」という問題では、きっちり本文の言葉を引用していた。ただしその言葉は「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。」と「君は、まっぱだかじゃないか。」だったが(ちなみに問題文は「走れメロス」だった)。 「・・・しかたねぇな。どっちみち、お前は赤点だ」 桂少年が顔を上げる。彼の点数は25点だった。間違いなく赤点だ。そして正解した問題は漢字の問題だけだった。 「中間の場合は補習だけで大丈夫だから。あさってからの補習、ちゃんと受けなさい」 「はい」 桂少年はしおらしく返事をする。 なんだこいつ、かわいいとこあんじゃねえか。 先ほどまでの自信に満ちた表情からは打って変わり落ち込んだ生徒の様子に、つい坂田先生は同情した。 この不可思議な生徒の、あまりに偏ってパーンなおつむの出来が、なんだかとても可哀想になったのである。 「みっちり教えてやるからな。まあ補習のメンバーは少ないし、アホばっかりだから心配すんな」 そう言って坂田先生は補習の日程表の書かれたプリントを渡した。 桂少年は素直にそれを受け取って、丁寧に礼をして準備室から出て行った。 桂少年が去った後、坂田先生は換気扇をつけて、ゆっくりとタバコをくゆらせた。窓を開けると初夏の適度に湿った風が入ってくる。 桂少年というのは話してみると、思っていたよりはまだコミュニケーションが取れる生徒だったので、実のところ坂田先生はほっとしていたのだ。 「さて、どうやってあの『パーン』を矯正すっかな」 吐いた煙が窓の外に流れていく。彼はそれをぼんやりとみつめながら、桂少年とその未来(主に頭の)について想いを馳せる。 そうしてこの日から、坂田先生は心の中に小さくてへんてこな、かわいい爆弾を抱えることになったのだった。 |