好きになってもいいの 新しいクラスの学級委員長は、なかなか決まらなかった。 立候補者が全く出なかったのである。15分間の沈黙の後、やっと立候補したのは桂少年だった。 理由を聞くと、こう答えた。 「先生、人望なさそうだったから。かわいそうだったので」 坂田先生は噴き出した。 意趣返しに「ヅラ」と呼んだら、桂少年はむっとして「ヅラじゃないです」と訂正した。 坂田先生はまた噴き出した。 おかしなクラスの担任になったものだと坂田先生は痛感する。 基本的に放任主義なので、いつものごとく生徒たちに深く関わらないようにと坂田先生は決めていた。決めていたが、それはこのクラスでは困難を極めた。 メガネやゴリラ女子、マダオにドS男子にドM女子。 わりとアクが強いと言われてきた坂田先生は、この中だと自分もまだ行けるほうだと思った。 そしてやっぱりアクの強い学級委員長には、風紀委員たちとの因縁があった。一見喧嘩はしなさそうなタイプなのに、一度火がつくとなかなか止められなかった。 風紀委員は以前から桂少年に髪の毛を切るよう要求していた。桂少年は断固それを拒否し続け、風紀委員の素行と頭の悪さについて言及し、辞任を求めた。両者は全く相容れることなく、まさに犬猿の仲であったのだった。 それでもメガネ新八や怪力留学生神楽とは馬が合うようで、何かと話している桂少年の姿を見かけた。 はじめは何かと緊張気味だったクラスも、風が温んで緑が深くなるにつれて、にぎやかになっていった。 ロングホームルームは週一回、毎週金曜日に行われる。 前日にはプリントを準備するのだが、あいにく坂田先生はこういった事務仕事が苦手だった。職権を濫用し、「部活やってないじゃん」と言って委員長に手伝わせた。 ロングホームルームの後、委員長はHRの議事録をまとめることになっている。一ヶ月に一度の委員会でそれを提出するのだ。皆は直前になって適当にまとめるのに、桂少年は放課後に残ってまで律儀に毎回議事録をまとめた。 こき使っておいて残らせるのもなんとなく気が咎めて、坂田先生は彼につきあっていつも残った。 教室じゃのんびり煙草が吸えないので(それでも生徒に言わせれば十分吸ってはいるのだが)、坂田先生はいつも桂少年を国語準備室に呼んだ。 「ソファあるし、ジャンプもあるから。マジVIP待遇だから」 雑然とした国語準備室に招いてそんなこと言う坂田先生に、桂少年は不満そうな顔をしてみせた。 「前から思ってたんですけど、部屋、汚いです」 桂少年は雑多に本がおかれた本棚を見やる。坂田先生お気に入りの青いソファのそばには、ジャンプ専用の棚がある。 「というか、なんでジャンプだけきれいに並んでるんですか。この棚ジャンプしかないし・・」 文句を言いつつも、やはり律儀な彼らしく、桂少年は毎週木曜・金曜は準備室にちゃんとやってきた。 桂少年のテストの点数は相変わらずだった。 2年生の夏休みから、長期休みの際に受験対策の特別講習が始まる。 桂少年は加えて恒例の補習も受けている。せっかくの休みだというのに、桂少年は結局毎日いつもと同じ時間まで勉強した。 講習や補習をサボる生徒も多数いたが、桂少年は必ず毎日授業を受けに来た。ついには二人だけの寂しい授業になることも多くなる。 坂田先生は、いつも桂少年を昼食に誘った。 生徒は普段立ち入れない屋上に行き、餡パンを頬張り、いちご牛乳を飲み干す。 「お前、変わってるよね。結構さ、俺は生徒に怖がられたり怒られたりするんだけど」 「・・・立場が先生じゃなければ、そうしてます」 他愛ない会話をしながら、毎日一緒に昼食をとる。 そうして夏休みはのんびり過ぎていった。 夏期講習最後の日、学校から少し離れた神社でお祭があった。 その日は補習最後の日でもあったので、教室の片付けもしなくてはならず、終わったときには6時を回っていた。 「お前お祭とか行くの?友達と約束してたら悪ぃ」 気付いた坂田先生が慌てて言うと、桂少年はちょっとだけ寂しそうな顔をして、いえ、していません、と言う。 坂田先生は桂少年の幼馴染のことは知らなかったので、その表情を見て、桂少年が祭りに行きたがっているのだと思った。そして気まぐれを起こして、桂少年を祭りに誘った。 変な二人組みだった。 ゆるみきった紺のネクタイと幅広の細いストライプのシャツを着た大人と、半そでの白いシャツをきっちり着た学生と。 坂田先生は綿菓子を買って、桂少年はラムネのビー玉を取って喜んだ。 金魚すくいにムキになって、カキ氷を食べる。 坂田先生は「これだから青少年は」と言ってはいたが、実はめずらしくはしゃいでいた。 「お願い事、何にしたの?」 神社の賽銭箱に5円玉を投じて手を叩いた後、坂田先生はにやにや笑って桂少年に聞いた。 「秘密です」 桂少年は真面目な顔をしてそんなことを言う。 夜店のおもちゃのような灯りのなかでふと見せた桂少年の顔に、坂田先生ははっとした。 彼が国語準備室に初めて姿を見せてから、既に一年。まだまだ子供だと思っていた桂少年は、いつの間にか大人びた顔をするようになったのだ。少年から青年に変わってゆく時期。 変人で、アホほど真面目で、まっすぐな彼の表情は、いつの間にかこんなにも坂田先生のプライベートな感情をゆさぶるものになっていた。 確かに桂少年は、ひとつずつ大人になっていたのだった。 祭りの後、坂田先生は桂少年を原チャリで送っていった。 桂少年は後ろに乗って、シートをしっかりとつかんでいる。 ぬるい夜風でも、原チャリにで走れば幾分涼しかった。 「ちゃんと先生に掴まんなさい」 坂田先生はそう言って、桂少年の腕を自分のからだに回させた。 もちろん表情など見えない。それでも坂田先生は、桂少年は先ほどの寂しそうな顔をしているんだろうと思った。 回された腕が熱い。 ああ まずい 坂田先生は思う。 これが何の予感なのかなんて、もうとっくに気付いている。 俄かに起こった信じられない感情に、坂田先生は絶望と希望を見た気がした。 「勘弁してくれよ・・・」 「え?!先生、聞こえません」 「何でもねーよ」 坂田先生は後ろの桂少年に気付かれないように、ひとつだけため息を落とした。 |