アンフェア








夏休みが終わってから、先生の態度が変わったと桂は思っている。

まず、何かとカチンとくる言葉をかけられるようになった。以前は桂の長髪にも大して文句を付けなかったのに、髪切って来いとか女子の水着を着ろなどと言う。
もちろん桂に心当たりはなかった。夏の補習にはずっと付き合ってもらっていたし、一緒にお祭りに行ったりして、むしろ他の生徒より面倒を見てもらっていると思っていた。

それなのに、挨拶をしても目を見ない。
それはいつものこととしても、みんなの前でうるさいだの、ウザいだの言ってくるようになった。
そのくせ、手伝えと言っては簡単な事務仕事をさせる。その最中、先生はろくに桂を見ようとしないが、ふとした瞬間に触れてくることがある。例えば頭に手を乗せられたり、髪をいじられたりする。それなのに、言葉にはやさしさが感じられない。「さっさと終わらしてくんない?」とか「だから切れって言ってるでしょーが」とか。

桂はこういった態度の変化が大嫌いだった。理不尽で、アンフェアだ。
同じように態度を変えた幼馴染がいたのだが、桂がその理由を問いただすと、「そういうところが面倒だからだ」と言われた。

何を言う。そっちの方こそ面倒じゃないか。

桂は納得いかないことが大嫌いだったので、本当は手伝いの合間に理由を聞きたかった。けれどそれができなかった。
以前はよく喋っていた先生は、一切話しかけてこなくなった。先生の仕草の一つ一つが、何となく近づき難い空気をつくっていた。聞いてはいけないような気がして、いつも桂は何も言わない。

先生じゃなければよかったのに、と思うことがある。
もし相手が担任の教師でなければ、最近の態度について、彼の胸ぐらを掴んで問いただしていたかも知れない。
そうできたらどんなにいいのにと思い、桂は自分と彼が同じ高校生だったらと考える。

きっとだらしないに違いない。遅刻の常習犯で、早弁して、授業なんて聞かずに寝ているに違いない。その授業のノートを悪びれずに俺に見せろと言うに決まっている。部活は俺と一緒に剣道部に入っていて、銀高の双璧と呼ばれて切磋琢磨してきたが、主峰の地位をめぐり対立する。そんな折、坂田は階段から滑って足を負傷し、大会出場は絶望的になる。そして奴はグレて不良とつるみ、やがて剣道部にモップをもって殴りこみ、そこでかつてのライバル(俺)に目を覚まさせれる。坂田は顧問に「剣道したいです」と言って泣き崩れ、再び銀魂高校剣道部には最強タッグが結成されることになるのだった。でも俺の方がモテるっていう設定にしよう、これだけは譲れない・・・

桂の思考がバスケ漫画的妄想になっていったとき、後ろからぱこんと頭を叩かれた。
先生の教科書だった。
桂は慌てて席を立つ。

「ヅラ、何ぼんやりしてんだ?続き読めって言ったの聞こえてるかァ?97ページ」

「・・・ヅラじゃなくて、桂です。すみません、聞いてませんでした」

「お前さぁ、わかってんの?そんな態度じゃマジで国語ヤバいんだよ?」

教室中の眼が桂に集まる。風紀委員のサド王子がにやにや笑っているのが視界の隅に入った。
何もこんなところで言わなくてもいいじゃないかと桂は不愉快になる。

「すみません」

「まったく。ヅラ、放課後ちょっとお手伝いしなさい。・・・こんだけで許してやるなんて、俺ってホント良い教師だなァ」

「・・・わかりました」

思ったよりも低い声が出てしまった。先生はそれに気付いてちょっと驚いた顔をした。まずいな、と思ったが、一度口から出てしまったのだから取り消しも効かない。ほんの些細なことだったので、桂は気にせずに教科書を読みはじめた。



放課後、言われたとおりに準備室へ向う。
夏休みにはここに来るのがあんなに楽しみにだったのに、今ではなんとなく嫌な気分になってしまう。
ノックをして入ると、自分で呼んだ癖に先生はすこし驚いた。

「来ないかと思っちゃった」

「何言ってるんですか、自分で呼びつけておいて。遅くなったのは掃除当番だったからです」

「・・・そう」

先生の手伝いは、例によってコピーやホチキス止めといった雑務だ。以前は一緒に作業をしていたが、最近は一人のことが多い。桂がそうしている間、先生は自分のパソコンに向かっていることがほとんどだった。
桂は先生の机に背を向けて作業をしているので、互いの視線が交わることはほとんどなかった。
背後で椅子がきしむ。
サンダルの乾いた足音。
先生の体温が近づいたと思ったら、背後から頭に手を乗せられた。
先生のてのひらはあたたかい。

「悪ィな、いつも手伝わしちまって」

先生の指は、そのまま髪をつたって肩まで降りてくる。

「助かってる、ホント」

こういうときだけ先生は優しい。

「はい、コレ。俺のお気に入りのやつ。特別にやるわ」

そういって目の前に差し出されたのは、先生が好んでいるレロレロキャンディーいちごミルク味だった。
いらないと思って桂が手を出さずにいると、先生が覗き込んでくる。

「何、いらないの?じゃー先生が食っちまうぞ」

「食べたらいいじゃないですか」

「おまっ、そんなこと言っちゃって・・・ホントに良いのォ?」

先生と目が合う。
いたずらっぽい目が懐かしい。
久しぶりに先生がちゃんと自分を見てくれているので、桂はそれを受け取った。節だった先生の指が触れる。やはりあたたかった。

「さーて、さっさと終わらせっか」

先生は手伝う、と言って桂の背を勢いよく叩いた。
前につんのめった桂を見て、先生が笑う。
つられて桂も笑った。

あのお祭りの夜から、一ヶ月と半分。いつも顔を合わせていると言うのに、この空気がたまらなく懐かしかった。
家に帰ってから、もらったキャンディを舐めてみようと思ったが、なんだか惜しくなったので、桂は手をつけることはなかった。


back