振り出し 先生はさっぱり生徒に人気が無かった。 桂は先生の良い話を聞いたことがなかったのである。 生徒をほったらかしにするとか、だらしないとか、煙草とか、天パとか。 以前同じクラスだった志村(姉)などは、「教師失格」と言って憚らなかった。でもそれはそのとおりで、先生は確かにダメ教師だった。 2年生になったとき、桂はクラスメイトが担任について、「ハズレだ」と言う言葉を聞いた。当然のようにクラスメイトからの人気はなく、まして学級委員をやりたがる者はいなかった。 だが、桂は先生のことを気に入っていた。 どれだけ一生懸命取り組んでも出来なかった国語。今まで、どんな教師もその理由を教えてくれなかった。教えてくれと言っても、目を合わせずに薄っぺらい問題集を渡してお茶を濁すのだ。桂は何が悪いのかわからないままずっと国語だけ成績が悪かった。 でも坂田先生は違った。 先生は単刀直入に桂に「何コレ?」と言った。こんなものは国語の解答じゃない、と。 そしてテストのたび、必ず補習に付き合ってくれた。 国語という科目の考え方を知らなかった桂にとって、補習はカルチャーショックの連続だった。桂流の考え方はことごとく先生に否定され、打ち砕かれる。それでも桂は嬉しかったのだ。 そうして話をするうち、桂の中で先生への認識が変化していく。桂から見た先生は、ダルそうで、いい加減で、意外に面倒見がよくて、放っておけない性分の男だった。 そして桂も放っておけない性分だったから、先生の人気のなさを放っておけなかった。そうして桂は学級委員になることにしたのだ。 クラスメイトたちは、次第に先生独特の魅力に気づき始める。校則だのなんだの細かいことを言わないし、それでも面倒見がいいから、少しずつ人気は出てくる。先生は意外と生徒に絡まれるのが好きなようで、最近はよくクラスの生徒とじゃれるようになった。先生は教師の中では年齢が近いこともあって、今では生徒たちから随分と慕われている。 時間がたつにつれて打ち解けていくクラスメイトとはうらはらに、先生と桂の距離は広がった。 先生お気に入りのキャンディをもらった後も、先生は相変わらずだった。 ある昼休み、風紀委員たちに桂に寄越したのと同じキャンディを渡しているのを桂は見た。渡された土方は嫌そうな顔をしたが、和気藹々と盛り上がる風紀委員達はとても楽しそうに見えた。 「特別に」なんて言っていたが、そんなものかと思って眺めていたら、先生と目が合ってしまった。絶対に互いを認識したはずなのに、先生はすぐに目をそらす。ほかの人にキャンディを与えていたことより、目をそらされたことに桂は少し傷ついた。 その日の放課後も先生に呼ばれた。先生は目をそらしたことには何も触れてこない。ただ、今度は「飲むか?」と言って飲んでいたコーヒー牛乳を差し出してくる。桂の記憶にある限り、先生はいつもいちご牛乳を飲んでいた。いちご牛乳だったら桂は遠慮していたかもしれないが、コーヒー牛乳だったのでとりあえず受け取った。口をつけたストローには、先生の体温が移っていた。 なぜか胸が痛んで、たまらなかった。 秋に入っても気温はなかなか下がらず、残暑が続いていた。 10月はじめ、銀魂高校では各委員の改選が行われる。 桂は学級委員を辞めようと決意していた。 あんなに気まずい思いをしながら日々暮らしていくのは桂にはとても我慢できなかった。もともと潔い性分である。女々しい感情を抱えるのはごめんだった。 桂は図書委員になった。 次のテストからは、気まずくて補習に出たくない。図書委員なら本にふれる機会も多いし、担当の日には図書室で自習も出来るだろうと考えたのだ。 学級委員には、かねてより先生を慕っている猿飛が就任した。彼女は頬を赤らめて「名実ともに夫婦になります」と言った。 桂は今まで彼女が先生を慕っていたとは知らなかったので、新鮮な驚きを覚えた。先生にも人望があってよかったと思う。学級委員の立候補者がいないかもしれないと少しだけ桂は心配したが、それは杞憂に終わった。一瞬桂は心臓をぎゅっと鷲掴みにされたように感じたけれど、それについて深く考えることを自分に許さなかった。 先生は桂が図書委員になっても特に何も言わない。それで10月半ばから、桂は先生と話をすることはほとんど無くなった。気まずさも無くなってすっきりしたので、桂は先生との思い出の数々をなかったことにした。 そのままおだやかに、何事も無く時間は過ぎる。 またいつものように誰かの部活の助っ人に出て、毎週月木は放課後図書室に行った。 本を整理したり、貸し出しの手続きをしたりして過ごす。 利用者はそんなに多くは無かったから、勉強するにはもってこいの場所である。紙の匂いと静かな空気に囲まれて、ゆっくり時間は過ぎていった。 桂がいなくても先生は変わらない。 先生がいなくても、桂は変わらない。 厳しかった残暑が和らいで、秋の気配が色を深める。 季節はすすんでいるのに、二人の距離は振り出しに戻っていた。 |