10,000Hitでいただきましたリクです。yoppi様へ! ※ 「戻ってきて」と「コンビニケーキ」の間の話です。 「保健室」 体育館には歓声が響き、バスケシューズが床を擦って音が鳴る。 ボールと足音が体を震わせる。 盛り上がる2xのギャラリーとは裏腹に、2zのコートはといえば、ゴール下にやる気のない担任がぽつんと突っ立っているだけだ。 ゴールの下でまた長い尻尾が揺れる。桂が得点を入れたのだ。スコアボードは34-21。2zのリード、優勝まであと7分半。 開け放たれた扉から、遠くにグラウンドの土ぼこりが見える。 10月末、少し肌寒いが澄んだ空は高く、絶好の体育祭日和だ。 そもそも2zにギャラリーがいないのは、極端に体育祭に強いメンツがそろっていたからだった。ほとんどの種目で決勝まで進んでしまい、応援に回る人員がいない。おかげで担任教師は誰からも相手にされず、こうして面白くもなさそうにバスケの試合を見ているのである。 決勝にもなると、選手達は殺気立っている。動きは激しく、ファウルも徐々に過激になる。 相手チームの強暴なディフェンスを、桂はするりと抜けていく。普段の制服では見えない、無駄を削ぎ落としたしなやかな身体。細い膝がバネのように動いて駿足が冴える。一見おとなしそうな学級委員は、とんでもない、万能型選手だった。バスケの前にはサッカーの試合にも出ていた。リレーの決勝では襷をかけていた。 三度連続で鮮やかなレイアップシュートを決めたポニーテールに、その担任はやっぱり桂には3人くらい影武者がいるのかもしれない、などくだらないことを考えたりした。 新八から桂にパスが回る。桂はボールを弾かせながら相手の動きを読んでいる。囲まれる前に、ディフェンスの薄い左から回り込もうとしたときだった。 桂は何を見たのか、コートの外に視線を奪われたまま、動きを止めた。 かろうじてボールを離すことは無かったが、それが逆効果だった。 「バッ、桂ァ!何やってんだっ」 土方の怒声が響いたが、時すでに遅し。 相手チームの選手3人が同時に飛びかかる。完全に固まって呆けていた桂は、「あだっ」とにマヌケに叫び、派手な音を立てて見るも無残に下敷きになった。 審判の服部があわててホイッスルを鳴らす。ギャラリーがどよめいた。 相手チームの選手達は特に怪我もなく起き上がる。うつぶせた桂にかけよった新八が声をかけた。 「大丈夫ですか桂さん!起き上がれますか?」 桂は呼びかけにむくっと起き上がり、痛がっている風もなく、いつもの無表情を見せた。 「大事ない、心配には及ばん」 偉そうに桂が言い放った瞬間、その生真面目そうに整った顔から、つっと鼻血が一筋垂れた。 一瞬の間。 あんまりそれが間抜けだったので、思わずそこにいた全員が噴いた。なにしろいつもどおりの隙のない無表情なのに、思い切り鼻血ブーなのだ。 「大丈夫か?どっか折れてないか?」 そう声をかけた服部の口元も、笑いをこらえている。 「大丈夫です」 桂はよどみなく答える。自分が鼻血を出していることに気付いていないようだ。 「服部先生、桂を交代させます」 土方がベンチの長谷川を呼んだ。 「わかった。…桂、お前は念のために保健室行って来い。立てるか?」 服部が手を差し出す。桂は鼻血を垂らしたまま服部を見たかと思うと、また動きを止めた。 「いーよ、俺が連れてっから」 いつの間にか2zの担任が騒ぎの輪に入っていた。 銀八はしゃがんで桂の腕を掴み、よいしょ、と声に出してその体を引き上げる。はずみで鼻血がさらに流れ落ち、桂の顔はケチャップにまみれたようだ。皆はそれを見てまた噴出した。銀八は白衣の袖で鼻血をぐいぐい拭うと、桂を寄りかからせる。 「とりあえず、多串君。あとはおまえに任せた。優勝しろよ」 そういって銀八は桂を引っ張っていく。 「任せたって、はじめから何もしてねーじゃねェかよ」 ポツリとつぶやいてから、土方は水を差された試合に戻る。 優勝まで、あと5分。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 保健室には誰もいなかった。 養護教諭はグラウンドの救護本部にいるのだ。電気をつけてベッドに桂を座らせると、銀八は適当に消毒液やら脱脂綿を漁る。 「あー…その、悪かった」 救急箱を物色しながら、銀八はばつが悪そうに言った。 「ちょっとだけ、調子に乗っちゃいました」 「さっきのことですか」 銀八が桂を目で追っていたら、目が合った。それでほんの悪戯心を出してしまい、唇を指差してみたのだ。先日交わした初めてのキスを思い出させるように。 その結果がこれだ。 ちょっと睨まれるくらいだろうと思っていた銀八にとって、桂のリアクションは予想外のものだった。桂が床に顔面を打ちつけたとき、思わず「マジか」と口から出てしまったほど。 「おめー、あんな、止まっちゃマズイだろーが…ったく、ほら、顔見せてみろ」 桂の綺麗で甘ったれた顔は、すっかり鼻血で汚れていた。 痛々しくてかわいそうだが、同時にその無防備な姿がたまらなくかわいくて、ちょっと笑えた。それから、桂をそんな目にあわせたのが自分だという、申し訳ない気持ちとほんの少しの満足感と。 「大丈夫かァ?他に痛いとこ、ねーか?」 「大丈夫です。少々不覚を取りました」 銀八はちょっと困った顔をしてから、応急処置用品を持って桂の隣に腰掛ける。 銀八の体重でベッドが揺れて、桂の高く結った髪が揺れた。 桂は白衣の袖に鼻を押し付けている。 銀八は白衣を取って、消毒液のついた脱脂綿で顔を拭き、カットされた脱脂綿を鼻に詰めてやる。桂が「ふが」と間抜けな声を出した。その状態でも桂はあいかわらず無表情なので、思わず銀八は笑ってしまう。笑われたのに気を悪くしたのか、桂が白衣をつまんで銀八に押し付けた。チラッと確認すると、白衣はだいぶ遠慮なしに使われたようだった。 「ありがとうございました」 ようやく事態を飲み込めたのか、桂の態度が急に変わる。不機嫌そうにそっぽを向いてしまった。言葉では謝っているが、むしろかなり怒っていることは明白だった。 試合中に散々眺めたけれど、桂が見ていないのをいいことに、銀八は改めて桂を観察する。 腕の内側とか、ふくらはぎとか細い腰とか。薄っぺらい胸とか、鼻血まみれになってしまったけれどきれいな顔とか。 男ってどうなんだ、と思っていたけれど、正直こいつはアリだと銀八は思う。けれどこれと言って何をしたわけでもない。思いを共有したばかりなのに、人目を気にしすぎて手に触れることさえできないでいる。 「怒ったの?」 からかうように囁いても桂はそっぽを向いたままだ。 「俺がしくじっただけですから。別に、先生は全く関係ありません。断固関係ありません」 「俺のせいじゃん、この前のこと思い出しちゃったんだろ?」 「違いますっ」 桂がムキになって叫んで、うっかり銀八を振り返った。整った顔。意志の強いまっすぐな目。それなのに鼻血を出して鼻に脱脂綿を詰めている。 「キスしたくなった?」 「!なってな、い、ですけど……いや、今は…」 赤くなった無表情が俯く。 銀八はチラッと背後を見て、人が来ないことを確認した後、細い身体を引き寄せてくちびるを合わせた。 つんとした消毒液の香り。 やわらかい唇。 二度目のキスは、この前よりも少し長かった。 結局バスケは桂が抜けたためか、長谷川が使えなかったためか、負けてしまった。 他の種目では全て優勝し、ぶっちぎりでの総合優勝だったので問題はなかったけれど。 銀八はバスケの選手達に「油断してんじゃねーよ」と偉そうに説教したが、本当は自分のせいだとわかっていたので、心の中だけでこっそり謝っておいた。 おしまい |