コンビニケーキ 二学期最後の日はクリスマスだった。 放課後の国語準備室で、桂は大掃除に駆り出されていた。 桂は文句も言わず手伝ったが、坂田先生は面倒くさいことに、あーだこーだ注文をつけてきた。 「だったら自分でどうぞ」 ムカついた桂は、先生のレロレロキャンディを、まとめてみかん箱に放り込んだ。 「だーっ、お前何してんだ!!」 「うるさいです。大体、こんな軟弱なものを食べていると今にメタボですよ」 こんな具合に、少し早めの年末の大掃除はなかなか進まなかった。 たっぷりと時間をかけて掃除が大方終わった後、先生は準備室の秘密のミニ冷蔵庫を開けた。 先生が出してきたのは、コンビニケーキが二つ。 「白いからショートケーキは俺ので、黒いからチョコレートケーキはお前のな」 桂はいつもの青いソファで、先生はいつものキャスター付きの椅子で、いつものテーブルを挟んでケーキを食べた。ケーキはコンビニにしては味は悪くない。 食べながら、桂は先生に問いかける。 「先生は本当に甘いものが好きですね」 「そーですね」 「先生、今日はクリスマスですね」 「そーですね」 「クリスマスといえば、初体験ですよね」 「そーですね・・・って違うだろォォ!!なんでそーなるの?!」 「いや、高校二年の夏と冬が勝負だって聞いたもので」 「誰からだよ・・・。まぁ、一般的な希望としてはそうだろうなぁ。つーかお前、こんな純白なケーキを目の前にしてよくそんな不純なこと考えられるな」 「不純じゃありません」 桂の真剣な声に、先生は押し黙る。 「俺は冗談じゃなく、先生とそうしたいと思ってます」 先生と桂は、まだキス2回だけしかしていなかった。そのときも、髪や肩に少し触れられる程度で、二人の接触はほとんどなかったのだ。 桂の中では、ふたつの心がせめぎあっている。 先生がロリコンなのは嫌だ。 かといって全く手を出されないのも、嫌だった。 18歳未満には何人たりとも手を出してはならない。リスクだらけの、きわめて困難な関係だということは痛いほどわかっている。 先生が大きくため息をついた。 「まー、わかるんだけど。でもなぁ、世の中それが全てじゃねぇんだよ。わかるか?」 確かに恋愛はセックスだけじゃない。むしろそれ以外の部分が恋愛の大部分を占めていて、そちらのほうが面倒であり、大事なのだ。 それは桂にもなんとなくわかる。 けれどこのまま、というのも、からかわれているように思えた。 俺はやっぱり国語が出来ないから、こういうことがわからないんだろうか。じゃあ曲がりなりにも国語教師である先生は、こういうことには聡いんだろう。 ただ、実際問題、教師と生徒という肩書きは下手をすれば犯罪扱いされかねない。ここで先生を破滅させるわけには行かなかった。 俺と不適切な関係を持った先生が、教育委員会とかにバレてクビになるとする。先生は他に出来ることはないだろうから(失礼です)、歌舞伎町でしがないホストになる。 ホスト坂田は、その独特の魅力で衰退気味だったホスト界の救世主となる。しかしホストというのは究極のサービス業。疲れきっていた坂田は、ある夜、一軒のスナックへ辿り着く。 そこで出会ったのは、かつての教え子であり恋人だったズラ子(俺)。美しい夜の蝶に成長した俺と劇的な再会を果たし、坂田は再び情熱的な恋に落ちるのであった。 でも人妻には俺のほうがモテるっていう設定で・・・ 「おーいヅラ君、妄想口から出てんぞー」 桂が妄想にふけっている間に先生は自分のケーキを食べ終わっていた。しかも当然のように桂のケーキに手を出していた。 「少しでいいので、俺にも先生の考えてることを教えてください。俺、国語できないから」 「そーね、お前だもんな・・」 先生はプラスチックのフォークを銜えたままつぶやいて、おもむろにソファの桂の横に座った。 「先生」 先生はフォークを皿に置き、指で桂を上向かせる。桂が何かを考える暇もなく、先生は桂にキスをした。 先生の舌が桂の唇をなめて、そのまま口の中に入ってくる。 舌はケーキのせいで甘く、生温かい。気持ちが良い。 しかし先生は意外にあっさりと桂から離れてしまった。 「・・・まぁ、さっきの俺の言葉の意味がわかるようになったら、いろいろ教えてやるわ」 初めての濃厚なキスに桂が呆然としているのに、先生は何もなかったような顔をして言った。 先生のベスパで家まで送ってもらう間、桂は国語準備室でのできごとを反芻する。 舌を合わせたのは初めてだった。 それでもいつも通りの先生に、桂はどう反応して良いのかわからない。深いキスは新鮮すぎて、どこをどうされたのかも思い出せなかった。合わせた舌よりも、さりげなく腰に回された腕の感触ばかりがよみがえり、体が熱くなる。 そのまま押し倒されるかと思った。 自分はもしかしたら被虐趣味があるのかもしれない、と桂はぼんやり思った。 家についたときには、19時を過ぎていた。 いつものとおり、そっけなく帰るのかと思ったら、先生はおもむろに上着のポケットから携帯電話を取り出す。 「ヅラ君、ケータイ出して」 「ケータイですか?」 「俺のアドレス。クリスマスプレゼントっつーことで」 先生はそういって自分の携帯電話を操作する。銀色の、少し傷の入った携帯電話。 「先生、俺、学校に携帯電話なんて持ってきていません」 「はぁ?」 「校則で禁止されているので。そんなことも知らないんですか?」 「禁止ったってお前・・普通持ってきてんだろ。何、家にあんの?」 「取ってきましょうか」 「あー、面倒だからいいわ。ヅラ、ペン持ってる?」 桂は鞄を開けてボールペンを取り出した。エリザベスのマスコットのついた、お気に入りのペンだ。 先生はペンを受け取ると、桂の手を取る。 「俺のアドレスは貴重だからな。イタズラメール、チェーンメールとか送ってきたらシバくぞ」 先生はそういって自分のアドレスを桂の手の甲に書いた。 「そのアドレスにテキトーにメール送っといて。名前は書いとけよ」 信じられないことに、桂は先生のアドレスすら知らなかった。 だから桂は、先生のプライベートな部分に入れてもらえた気がして、それがさっきのキスよりもうれしかった。しかしこのままずっと先生のペースというのも、気に食わなかった。 先生、いつまでも子供扱いしないで下さい。 桂は先生の胸倉を掴んで引き寄せる。不器用にくちびるを押し付けた。 「桂・・・」 先生は桂を引き寄せようと手を伸ばしたが、桂はすぐに体を離した。 おどろいた先生を尻目に、よいお年を、とだけ言って、桂は家の門をくぐった。 坂田は桂の後姿を見送る。 まさかあんなことをされるとは思っていなかった。 キスを仕掛けてきた桂の、あの顔。 甘く見ていた桂に一杯食わされた気がして、坂田は嬉しくもあり、少しだけムカつきもした。 「ったく、準備室で喰っときゃよかったなァ・・・」 つぶやく口調はやさしい。 坂田は再びベスパに乗り、のろのろと帰路につく。 その冬はじめての雪が降りはじめていた。 |