抜き打ち検査 休み明けの憂鬱はひどいものだった。日射しも湿気も気温も、昨日とまるきり変わらないのに、もう夏休みは終わったという。 ばかばかしい。 沖田は心の中で毒づく。やつあたりで前の席の鞄を軽く蹴った。理由もなく鞄を蹴られた土方は、鬼の形相で振り返る。だが、珍しく担任がクソ真面目な顔で説教を垂れているので、土方は何も言わず教壇に向きなおった。根が真面目なやつだから、手を出せないのはよく知っている。 「……この夏、おめーらがどんな階段を踏み外したかとか、俺はあえて聞かねーけどな?」 始業式後のロングホームルームだ。気づけばもう3年の2学期。流石のちゃらんぽらん教師も、ちょっとは真面目ぶりたいらしい。普段は教壇から一歩動くのでも面倒臭そうなのに、今日はやたらうろうろと、黒板前を行ったり来たりしている。妙に真面目な口調が不似合いだ。沖田はアイマスクを取リながら笑いをかみ殺す。 「ただ、オメーらがいくらいきがってても、世間は許さねーんだ。高校、っつー組織に所属してる以上、けじめはつけなきゃならねえ。わかるよな?」 はい、と元気よく返事するのは、相変わらず桂だけだ。 「っつーことで、これから抜き打ちで服装検査をします!」 クソ不真面目な教師に似つかわしくない言葉に、沖田は思わず目を開いた。同時に教室中から一斉に非難の声が上がる。 「なんだヨ、検査って。そんなもん、今まで一度もしたことなかったアル」 「今までの古い慣習に囚われてたら、組織は腐敗すんだよ」 「聞いてないよぉ!自由なのがこの学校の校風じゃん?」 「授業中のグラサンは自由すぎんだろーが。そこまでの自由は認めてません」 「人は見た目で判断するなっつーだろうが。テメーにゃ俺たちの人間性なんてわかんねーだろ」 「人は9割見た目だぞー多串。その開いた瞳孔から、テメーの人間性全部にじみ出てんぞ」 「スカートの長さを測ったりするなんて、セクハラだわ、先生。最低よ」 「えっ、先生ったら、まさか服装検査にかこつけて、私にイヤらしいことをしてくれるつもり?だめ、そんな、心の準備が」 「テメーらのスカートには一切興味ないから気にすんな」 いいから、と手を叩いて、担任は質問攻めを一蹴する。 「壁に一列で並べコノヤロー。つべこべ言うんじゃねーぞ。いいか、受験控えてんだ、ちったァ自覚持て。そのままじゃ恥ずかしい思いをするだけだ。俺はそんなの見てらんねーし」 放任主義で有名なあの銀八は、ちょっと真剣な目をしていた。教室は水を打ったように静まり返った。 3年の夏が終わった。それが何を意味しているのか。皆気づかないふりをしているが、本当に気がつかない奴なんていない。受験と卒業だ。 急に教師面しやがって、と思う反面、なんだかんだとこの酷いクラスをまとめてきた担任を思うと、服装検査ごときで反発する気も失せる。沖田はアイマスクをポケットに突っ込み、ぎっと耳障りな音をたててイスを引いた。なんとなく全員の視線を感じながら、気づかぬそぶりで廊下側のドアの前に立つ。沖田のため息を合図に、床を擦る脚の音が続いた。皆のろのろと壁に並ぶ。名前も性別もてんでバラバラに並ぶその様子に、銀八が苦笑する。 「おめーら並び方とか考えねーのかよ。ま、お前ららしいんだけど」 いつもの銀八のあきれた声で、ようやく皆の空気がほどける。この男の生徒との距離の図り方は巧いものだった。逆に言えば、それ以外にあまり褒められた点はみあたらないのだが。 「さて、じゃあ服装検査を始めます。まずはお前からだ、新八」 銀八は教室の一番前に立つ志村弟からチェックを始めた。 「お前はいいな、別に何も言うことないわ。せめて言うなら、指紋が付いてるかなー?」 「ちょ、なんですかソレ?だからなんでメガネがメインなんですか?!」 抗議を無視して、銀八はさっさと次の生徒にうつる。一人ひとりの目の前に立ち、面倒臭そうに、それから無遠慮に上から下まで眺めている。 「おいハム子、その髪はなんだコラ。顔も黒すぎ、ヤマンバみたいになってんぞ。何とかしてこい」 3Zというのは、もともと学年じゅうの問題児を集めたクラスだ。と、沖田は勝手に思っている。もちろん自分も含め。今まで服装検査がなかったのがおかしいくらいだ。銀八は、長谷川のグラサン、近藤の鬚、猿飛のスカート丈、志村姉の暴力癖等などを次々指摘し、もちろん沖田の前にも立ちはだかった。何を言われるのかは、十分わかっている。 「沖田、お前は……なんだ、そのアホみたいなTシャツ」 眼鏡の奥からは食えない目が覗いている。ほらやっぱり、と沖田は少し口の端をあげた。 「俺ァ昔からスーパーマンに憧れてましてねィ。風紀委員の一員として、このクラスのスーパーマン的な存在になりたい、そういう決心の現れでさァ」 「スーパーマン以上の怪力なら既にたくさんいるから、辞退してくんない。風紀委員が自ら風紀守ってねーってどいういことだ。しかも3人そろってこれかよ」 「イヤ、実はそれ以外にもこのTシャツには意味がありましてね。このSはスーパーマンのSでもありやすが、ドSのSでもあるんでさァ。アイデンティティを捨てることはできませんぜ」 「アイデンティティ掲げて許されんのは中学生までだ。ドSのSだ?テメーより俺のがSな自信あんだけど。つーことで、それ、明日からは着てくんじゃねーぞ」 言いたいことだけ言って、ハイ次!と銀八は次の生徒のチェックを始める。まあ銀八の言うことはもっともで、反論のしようもない。だが沖田は懲りずに、Tシャツは明後日から着てこよう、などと考える。 「……えーと」 ふっと視線を横にずらすと、銀八は沖田の隣で突っ立っている桂と向き合い、ぼりぼり後ろ頭をかいている。対峙する桂は「自分は大丈夫に決まっている」みたいな顔をしているが、それが沖田にはちょっと信じられない。 「お前は、何言われるかわかってるよな」 銀八が覗き込んだが、桂はちょっと眉を動かしただけで、まったく動じることも恥じ入ることもない。 「何も言われないと思いますが」 「……っ、毎日言ってんだろーが、それだ、ソレッッ!」 「……ソレ?」 銀八はいらいらと舌打ちし、白衣の胸ポケットの赤ペンで、桂の髪を乱暴に掬った。 「このヅラだよ。切るか取るかどっちかにしなさいっつったろが!」 「ヅラじゃない、桂です」 そういえば服装検査のないこのクラスでも、コイツだけはいつも頭髪チェックされているのだった。 「でも、この前長いのが良いと、……あ、えーと」 珍しく桂が言いよどむ。自分が引っかかったせいか、同じように周りの連中が何か指摘されているのは正直心地よく、沖田は横で盗み見ながら含み笑った。 「あ……つまり、エ、エリザベスが言うので」 意味不明な言い訳に吹き出しそうになるのをこらえる。銀八はそれを聞き、たっぷり間を開けてから深くため息をついた。 「とにかく、それヅラだったら取ってきなさい」 「だからヅラじゃな」 「ハイ次ッッ!」 銀八はさらにいらいらと声高に叫び、留学生の瓶底眼鏡にいちゃもんをつけ始める。 その様子を笑ってやろうと視線を走らせると、これまた珍しく顔を赤くした桂の横顔が視界の端をかすめた。思わず二度見してしまう。いつも腹が立つくらい仏頂面のこの男が、まさか。ヘタな言い訳をしたのはよっぽど恥ずかしかったらしい。意外と可愛いとこもあるんじゃねーかと驚く。もしかたらいいネタをつかめたのかもしれない。 そうこうしている間に留学生のターンは早々に終了してしまい(多分指摘するところが多すぎて銀八も諦めたのだろう)、沖田にとっては一番白いはずのネタを見逃してしまった。ちっと小さく舌打ちしたが、たぶんその音は誰にも聞こえていなかっただろう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 服装頭髪検査があるなら、持ち物検査もやるべきだ、と言い出したのは近藤だった。風紀委員として、先の服装検査に習い、持ち物検査をしようというのだ。教師ではないので没収まではできないが、自主的に注意しあうことで風紀を正したいとかなんとか。単に片想いの相手の鞄をのぞきたいだけなのは見え見えだった。だが面白いものが見れそうだと、沖田はあっさり近藤の話に乗った。先ほどの検査で自分が注意された憂さ晴らしも多分にあるが。 結局、その日最後のホームルームが始まる直前に、風紀委員総出で持ち物検査を実施することになった。 「どうして貴方達なんかに鞄を見せないといけないのかしら?冗談じゃないわ、教師でもないくせに」 「お妙さんが勉学にふさわしくないものなんて持ってないのはわかってますよ?でも他の連中が、ホラ、ナイフとか持ってたら大変でしょ、だから、疚しいことなんてないんですよ」 近藤は早速志村姉に捕まっている。近藤がきつい一発を食らうのを横目に、沖田は土方とともにクラスじゅうの鞄を見て回る。 「ちょ、沖田さん!何でいきなりそんなことするんです?面倒事を増やさないで下さいよ」 これ以上騒ぎが大きくなったら、と心配する志村弟を無視し、鞄の中身を改める。案の定、特に面白いものは入っていない。せいぜい音楽プレイヤーくらいだ。沖田は使い込まれたプレイヤーをつまみ上げた。戯れにスイッチを押してみる。ディスプレイには「寺門通スーパーベスト」のジャケットが表示された。 「こういうのもホントは没収対象なんだろーなァ」 「ちょ、返して下さいよ!」 「まあ取り上げやしねェよ、俺だって持ってるし」 志村弟には優しく接しなければならないのが風紀委員の掟だ。スイッチを切り、ぽいと鞄に戻してやった。 後ろでは土方がハム子の鞄をチェックしている。やめて、と言いながらも、イケメン土方との接近に、黒い顔を赤く染めている。 沖田はそれを背中で聞いてうんざりし、そのうんざりさを引きずったまま、桂の席の前に立った。案の定桂はぎろりと下からねめつけてきた。 「オイ桂ァ、鞄ン中、見せてくれやしませんかねィ」 「なぜ貴様らにそんなことをせねばならんのだ?これだからお前たちは、粗野で横暴で品位のかけらも見当たらん。何が風紀委員だ」 「そんなに嫌がらなくてもいいじゃねぇか。それとも、なんか疚しいモンでも持ってんのかィ?」 「疚しいものなど持っておらん。こんな下らん事に付き合いたくない。……だが、疑われるのも不愉快だ。好きにしろ」 桂は机の横のフックから鞄を取り上げる。学校指定の鞄は誰のものでも同じはずなのに、自分の鞄とは比べ物にならないくらい綺麗に使われている。その几帳面な鞄の中を検分する。筆入れにノート、参考書とそろばんと、飴の袋が入っている。予想以上に、まったく味気のない鞄だ。筆入れの柄が気持ち悪いことと、案外桂が女子みたいに飴を持ち歩く趣味があるということくらいか。それだって別にどうでもいいことだ。沖田は飴を一粒拝借しようと手を伸ばしかけたが、このろくでもない学級委員長の危険さをある程度は知っていたので、やっぱりやめておいた。毒でも仕込まれているかもしれない。 「ハイハイハイ、何やってんだオメーらァァ!!」 すでに開いていた教室の扉から、担任が顔を出す。出席簿の角で肩を叩きながら、億劫そうな足取りだ。 「先生!近藤君が私の鞄を勝手に覗こうとするんです、助けて下さい!!」 「ハア?なんだよ、いつものことじゃねーか……っていうか、すでにむしろ近藤君に助けが必要な状態なんですけど」 「風紀委員どもが勝手に持ち物検査を始めたアル。私も酢昆布没収されかけたネ。横暴アル」 「違うんです先生ェェ!俺達は学校の風紀と生徒の自主性を高めるために、」 「あーわかったわかった。近藤、お前はおとなしくしてなさい。とにかくホームルーム始めっから、とっとと席につけ」 近藤は名残惜しそうに志村姉の鞄を見つめていたが、担任が早くしろと言い放ったので、すごすご席に戻っていった。 「自主的にいろいろ気を付けんのは結構な話だが、検査とかそーいうのは俺がやるから。ったく、ただでさえ世の中セクハラだの虐待だのうるさく言われてんだ、そういう面倒なとやってんじゃねーよ」 銀八はため息交じりで咎めるが、幸いそこには非難するような声色はなかった。 「ただ、オメーらの持ち物が意味わかんねーのは事実だからな。いつ俺が抜き打ち検査するかわかんねーぞ、疚しいものとか持ってくんなよ。エロ本と菓子類は全部俺が没収するから」 近藤は大きな背中を丸め、しょんぼりしている。彼の一途さは筋金入りだが、どうにもやり方が悪い。ちょっとは気の毒になったので、今度はちゃんと止めてやらないと、なんて思ったりする。 銀八は、休み中の宿題の提出について説明し、模擬試験開催のお知らせプリントを配り、事務的にホームルームを進める。服装検査のときにちらりと覗かせた真剣さは、すっかりなりをひそめてしまった。煙草こそ銜えていなかったが、口の中に飴玉か何か入れているらしく、滑舌がすこぶる悪い。 「じゃあ日直、挨拶して。終わんぞ」 終業のチャイムが響く。音に合わせて皆立ち上がり、イスの擦れる音が教室中を満たす。廊下からも同じような音があふれて、放課後特有の解放感がすでに教室に忍び込んでいる。 いつもの調子でやる気のない挨拶をする。顔をあげた瞬間には、もうクラスメイトの大が半机の上に椅子をガタガタ乗せ始めている。緊張のとれた生徒は自由気ままに教室を飛び出した。 銀八は余ったプリントを教壇で軽くそろえてから、掃除当番を見届けることもなく、とっとと自分の城に引き上げていく。 いつもの情景が戻ってきた。夏が終わったんだなと、沖田は急にさみしさを覚える。 ふと、担任教師の白衣から、何かがこぼれ落ちるのを沖田は見た。本人は落としたことには気がつかず、くたびれたスリッパを引きずっていった。ペタペタうるさいその音も、放課後の音にすぐにかき消される。 沖田はなんとなく気になって、銀八の足取りをたどって床に目を落とした。が、何のことはない、落としていったのは、ただの飴の個包装の袋だった。 「何でィ」 沖田はつまらなさそうに呟いて、どうせ掃除するんだし、と、拾いもせずに教室を後にする。 彼は一瞬だけ、その袋をどこかで見たような気がしたのだが、どこで見たのか思い出すこともなく、雑多な廊下に溶け込んでいった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・××× |
第三者視点からの話がすきです。
今回は沖田君視点です。もちろん彼はまったく気付くこともないのです。
何も気がつかないのに、実は二人のつながりにふれている、っていうのに萌えるのですがいかがでしょうか。
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