「間の悪い男」




 春になれば自然と桜がほころび、また秋になれば銀杏が色づき道を染める。
 万事、ものごとというのは、それにふさわしい時期というものがある。
 ただごく稀に、その期を見誤るものがある。ふとした小春日和に咲いてしまう春の花だとか、厳しい予算会議のあとで営業部長に値引き稟議を持ちかけてしまう営業マンだとか。
 それから、マダオとか。


 さて今朝のことだ。マダオはいつものように公園のベンチで、拾った競馬新聞を読んでいた。そこに間が悪く、例の万事屋の毒舌娘がやってきたのだ。

 「誰の許可があってこの席に座ってるアルか」

 馴染みの紫の傘と太陽を背にした彼女は、逆光のせいでかなり恐ろしい。のちに起こるとか起こらないとかいう某大戦で世界を恐怖に陥れた独裁者は、相手に威圧感を与えるために常に太陽を背にしていたと言うとか言わないとか。彼女の姿はちょうどそれに重なった。

 「ここの公園はこのかぶき町の女王神楽様が取り仕切ってるアル。マダオのオメーに、ここに座る権利はないネ」



 そんなわけで、マダオはトボトボかぶき町を徘徊していた。昔はこの町の高級パブやキャバクラにしか行かなかった彼も、いまではこの町の最下層にすっかり馴染んでいる。
 神楽からのキツすぎる言葉で受けたショックが大きすぎたので、彼は気分転換のためにいつものお散歩コースとは違う道を歩いていた。
 それで案の定、道に迷った。
 進めば進むほど、なんだか妖しげで嫌な予感のする小さな通りに入り込んでしまう。空き瓶や吸い殻が散乱し、落書きだらけの壁、罅のいった粗末な塀。まずいな、と思ったときには遅かった。

 「なァ、そこのオッサン。ここで何してんの?」

 マダオはさっと血の気が引くのを感じる。
 オヤジ狩りだった。

 「俺達さァ、いろいろ金に困ってんだよね。あんた、そのグラサンなかなかいいヤツじゃん?腕時計も高そうだし……」

 相手は10代後半と思しきB系の兄ちゃん2人組だった。

 「ここは一つ、恵まれねぇ俺達に恵んじゃくれねぇかい?」

 「いや、俺も恵まれ寝てないから。生活カッツカツだから。むしろ俺のほうが恵んでほしいくらいなんだけど……」

 「つべこべ言ってんじゃねぇぞゴルァァァ!カネ出せっつってんだよォォ!」

 「だから金なんて無いって言ってんでしょーが!」

 「カネが無ぇなら、そのグラサンよこせよ」

 若者二人はマダオの襟首をつかんだ。抵抗するマダオを二人がかりで押さえつけ、腕時計とグラサンを外そうと羽交い絞めにする。

 「ちょ、ヤメテ、グラサンはやめてェェェ!!」

 マダオが半ベソで叫んだときだった。
 
 「そこで何をしている」

 よく通る声だった。それも聞いたことのある声だ。

 「アァ?なんだテメー」

 悪党二人が路地の入口を振り返る。笠を深くかぶった僧侶だ。やけに姿勢がよく、僧侶というにはあまりに凛としている。手にした錫杖が小さく天上の音をたてた。

 「なんだ坊さんか。怖ぇ目に逢いたくなけりゃ、帰ってお経でもあげてろや、コイツのためにな」

 「お前達、金が欲しければ働いて稼ぐことだ。己より弱いものからちびちび小金をせしめるなど、恥ずかしくはないのか?お前たちは侍の魂を忘れたか」

 「あぁ?テメー、バカにしてんのか?」

 「テメーもまとめて叩斬ってやらァ。それにこの坊さん、えらい別嬪じゃぁねえか。楽しめそうだ」

 チンピラは下卑た笑いで舌なめずりし、獲物を品定めする。すると僧侶は錫杖をさっと構え、男二人が飛びかかる前に、目にもとまらぬ速さで間合いに入り、柄の一突きで完全に二人をのしてしまったのである。

 驚いて言葉も出ないマダオに、僧侶は手を差し伸べる。

 「長谷川さん、大丈夫か」
 
 「……ヅラっち……?」

 「ヅラっちじゃない、桂だ。さ、こいつらが起きぬうちに、早く!」

 桂さんは尻もちをついたマダオの腕をとり、半ば引きずるように連れ出した。
 

 さて、マダオは桂に連れられ、例の公園に戻ってきた。
 桂はそこでマダオに缶コーヒーを与え、乱闘で敗れた甚平を繕ってくれた。襟元を縫うその伏せた瞼がきれいだ。
 こんなに真面目そうな優男なのに、彼が銀時曰く「テロリスト」なのだ。だがマダオにはまだ今ひとつピンと来ない。もちろん、竜宮城に流されたときに目の当たりにしたことで、彼がタダ者じゃないことはわかっている。それに入国管理局にいたときから噂やニュースで見知ってはいた。だが実際彼を目の前にすると、どうにもそのニュースの内容と違うように思えてくる。銀時とは友達らしいが、結局のところどんなつながりなのかもマダオは知らない。そもそもあの天然パーマ自体、ちょっと謎めいたところがあるのに。

 「さ、できたぞ、長谷川さん」

 ハツのように巧くは繕えていなかった。それでもその縫い目に、マダオはなんとなく嬉しくなる。こんな底辺でも、優しくしてくれる人はいるのだ。持つべきものは友人である。ただ礼がしたくても、マダオには当然何の持ち合わせもない。バツが悪そうにそう言うと、桂はなんでもないことのようにさらりとしていて、見返りのひとつも求めなかった。彼は用事があるといって、ゆっくりもせずに行ってしまった。
 マダオはすっと伸びた桂の背を、その影が見えなくなるまで見送った。影は長く、もう陽が落ちかけている。なかなかツイていない一日だったが、それでもそれなり救いなんてものはあるのだ。

 「ヅラっちって、いい人だなあ」

 誰に言うでもなくマダオがつぶやいたときだった。

 「誰がいい人だって?」

 驚いてマダオが振り向くと、すぐそこに銀時が立っていた。

 「銀さん!」

 続けて現れる見知った顔に、マダオは思わず破顔した。桂とはよくよく考えてみると彼つながりで知り合いになったようなものだ。銀時との出会いはなかなか酷いものではあったが、こうして彼を通して救われることもある。うれしくなったマダオは、ついうっかり先ほどまでの話をしてきかせた。

 「いやぁあ、ヅラちって、初めて顔を合わせたときは取っ付きにくいタイプだと思ってたんだけど、結構良い人だよね。俺のことも助けてくれて、コーヒーまでおごってくれちゃってさ」

 「へー」

 「なんか、本当は色々危ないこともやってる人なんでしょ?でも気取ったところもないし、ちょっと変わってるけど」

 「だいぶ変わってんだろ」

 銀時の顔が次第に険悪になっていくのに、幸か不幸かおめでたいのか、マダオはまったく気がつかなかった。

 「俺みたいな社会の底辺にも、ああやって目をかけてくれてさ。そういうところが、反社会的勢力でも人気がある所以なんだろうなァ。俺もああいう人と仕事したいよなあ。あれなら俺も頑張れそうな気がするもん」

 「長谷川さん」

 銀時がいつになく剣呑な声色で名前を呼んだ。

 「あいつ、ああ見えてテロリストなんだぜ。義賊気取りであんたみたいな人をほっとけねーバカだが、深くかかわるとロクなことにならねえ。あいつに深入りするのは止めたほうがいい」

 すっかり上機嫌だったマダオには、なぜ銀時がこんなに不機嫌なのか知る由もなかった。つまり、二人が昨晩、脱がせた着物を畳むの畳まないだので大喧嘩して、結局何もせぬままだったことなど知るわけもない。

 「どうしちゃったの銀さん、だって友達なんでしょ?ヅラっち」

 「友達っつか、なんつーか、……色々あんだよ。ていうか、ずっと気になってたんだけど何?『ヅラっち』って」

 「色々かァ……。ま、確かに人間関係、色々あるよな。でも俺からすると親友に見えるよ、銀さんとヅラっち」
 
 「いや、だから『ヅラっち』って何なのその呼び方?」

 つい先ほど親切にされたからか、マダオは親切を返したくなっていた。それで男特有の、「先輩のアドバイス」モードが入り、銀時の顔色などお構いなしで大いに語った。ましてマダオを救ってくれた二人の友情の悩みである。それはぜひとも相談に乗り、二人がまた仲良くなるようにしてやりたいと言うものだ。ついでに3人で屋台にでも行って、飲み代は2人持ちで一杯引っ掛けられたら最高だろう。

 「確かに生き方違うかも知んないけど。折角だから大事にしなよ、そういう絆は何より大事なもんだよ」

 と、マダオが言い終わる前に、銀時は盛大にけりを繰り出した。

 「だから『ヅラっち』ってなんだっつってんだろーがァァアア!!!」
 
 盛大に地面に倒れこんだ長谷川に、銀時は、「あーなんか糖分足りなくてイライラすんわ。コレもらってくな」と言って、長谷川の手にしていたコーヒーを奪い去った。

 「……なんでこーなるの?」

 今日もう何度目かわからないくらいの理不尽さに、思わずマダオの視界がにじんだ。




 夜のジャングルジムはいいものだ。いつもは子供たちの城だが、この時間だけはこの城の唯一の主になれる。
 マダオはてっぺんに登ってぼんやり夜空を見ている。
 甚平は肌寒いけれど致し方ない。新聞紙でも拾ってこようかと思ったけれど、今日はいろいろなことがありすぎて、もう億劫になってしまった。

 「俺って、間が悪いのかなァ……」

 つぶやく声は力なく、月に届くこともなく、ジャングルジムの下に落ちた。





 おしまい


マダオ愛です。
まさか本誌でこののちあんなことになるとは思っていませんでしたが(笑)何も知らない無知で無垢なマダオが、その純粋さゆえに銀桂を引っ掻き回してしまう、なんていうシチュエーションが大好きです。
イチ蜜はこれからも、マダオを全力で応援します!
はや芽が出るといいな!


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