立春の雪 夏は暑く、冬は寒いのが彼らの故郷だった。 南に位置するとはいえ、盆地の冬には雪が降る。 如月。暦の上では春とはいえ、家々の軒先には重い雪が積もっている。景色は白く染まり、寒さがあたり一面にしみこんでいる。 この寒空の下での寒中稽古は毎年の恒例だった。門下生皆が上半身をつめたい風邪にさらして素振りをするのだ。三十名近い門下生が掛け声とともにいっせいに竹刀を振り下ろす。寒さと体温で吐く息が真っ白くけぶる。まだ小さな子供などは、顔を真っ赤にさせながら、年長に遅れをとらないように必死で竹刀を振りまわしていた。そうして素振りの後に三本勝負を行うのも、また慣例となっていた。 小さな子供の打ち合いが恒例だったのだけれど、誰かがそれを銀時と桂にやらせよう、と言い出したので、皆は盛り上がった。銀時と桂は雌雄を決しがたいほど実力が拮抗しており、また門下の中では群を抜いて強かったのだ。両雄対決に色めき立った皆をよそに、銀時はそれを嫌がった。 「寒ィもん、そんなのやったら俺死んじゃうから」 銀時はいつものように眠たそうな顔をして、さっさと綿入れを着込んでしまう。するとそんな銀時の横から「俺がやる」と声がした。皆が振り向くと、そこには不適に笑う高杉の姿がある。高杉は二人より年下なためか、実力ではまだ及ばない。けれど高杉の腕も相当なもので、並の道場であれば師範代にもなれるかというほどの実力を持っていた。 渦中にいる桂は冷静なもので、下級生が持ってきた防具を淡々と身につける。面をかぶる直前、一瞬だけ桂は銀時を見た。目が合うが、何も言わない。そのまま桂は何もなかったように面を着けてしった。 思ったよりも高杉は桂に食い下がった。周りで最初騒いでいた連中も、今では固唾を呑んで見守っている。 桂は強いというよりも、速くて正確だった。踏み込む場所や手の速さがすべて的確で、相手に隙を与えない。高杉はというと、これは直感で動く男だった。相手の呼吸を読み、それを突き崩す術に長けている。しかし桂の冷静さを前にすると、そううまくはいかない。高杉がどんな奇をてらった攻撃に出ても、桂は水のようにさらりとかわしてしまうのだった。桂の無駄のない振舞いに、皆は見とれた。道場の軒先で寝てしまったはずの銀時までもが、珍しく真剣な顔つきをしてその姿を見つめていた。 結局、桂が二本を制して勝利した。高杉も桂から一本とったが、やはり相性が悪い。昔のように拗ねたり当り散らすことはなくなったが、やはり悔しいのだろう。次は見ていろ、と桂に宣戦布告をして、高杉は取り巻き連中と連れ立って行ってしまう。その高杉を黙って見送っていた桂に、下級の一人が温かい汁椀を差し出した。この稽古の後には決まって炊き出しがあって、ささやかではあるが、温かい汁物が配られるのだ。 桂を強い憧れのまなざしで見つめてくるその子供に軽く礼を言って、桂はそれに口をつける。と、後ろから銀時が呼び止めた。 「俺の分もちょうだい」 「・・・自分で持ってこい。さっきから怠けておったくせに」 「いーじゃん、あんなの遊びだろ」 銀時が軽口を叩くと、桂は眉を吊り上げた。 「遊びじゃない、稽古だ」 先ほどの下級生が気を利かせて、銀時の分の汁椀と桂の綿入れを持ってきた。調子よく礼を言う銀時を桂がたしなめるが、そんなのお構いなしに銀時は口をつけてしまう。 子供たちはもう門下生ではなく、ただの子供たちの顔に戻り、雪遊びを始めていた。誰が始めたのか、雪球が飛ぶようになり、ちょっとした合戦になっている。それを眺めながら、銀時と桂は炊き出しを平らげた。 「せっかくだったのだから、お前と勝負したかった」 「なんで」 「お前は道場ではいつも俺との打ち合いを避けてばかりだからな。うまく逃げ回りおって。皆の見ているところで打ち負かしてやろうと思っていたのだ」 「何だそれ・・・。別に逃げちゃいねぇし」 「そうか、もう好きに言え」 雪がちらついている。 桂はいきなり手を伸ばして銀時の髪をくすぐった。 「何だよ」 「雪が積もっているぞ」 桂の指が銀時のやわらかい癖毛を撫でた。銀時はその手を払い、道に積もっていた雪を桂めがけて盛大にぶちまけた。 「お前のほうが積もってるぜ!」 「何をするか貴様ァァァ!」 頭から雪をかぶった桂は、すぐに逆上して足で雪を蹴り上げ、こちらもまた盛大に銀時にかけた。 「ギャア!てンめこの、何しやがんだ!」 「さきに仕掛けたのは貴様だぞ?・・うわァァっ!!」 「油断してんじゃねーぞ、ヅラ」 「だからヅラではない桂だァァァ!!!」 二人は雪を派手に舞い散らせて互いを雪まみれにした。しまいには吹き溜まりになってこんもり積もっている雪に飛び込んで、転げまわる。 ひとしきりじゃれ合った後、ふと銀時が桂を見つめた。頬を赤くした桂が「どうした」と聞くと、銀時はそっけなく「別に」とだけ言って、あお向けに寝転がってしまう。桂もそれに倣ってごろりと仰向けになる。二人はちらちらと空から振ってくる雪を眺めた。 「・・・結局、年始にもお帰りにならなかったな、先生」 桂がぽつりとつぶやいた。 「そうだな」 「こう長引くと、心配になる」 「そうだな」 「お前、さみしくはないか」 「それはねぇよ。たまに手紙くるし」 「そうか?」 桂は銀時を覗き込んだ。じっと見つめてくるその視線に、銀時が困ったように笑う。 「まあ、飯とかはちょっと、困るけど」 「貴様ちゃんと食っているのか?」 「何とかな。先生仕送りだってくれるし、近所のおばちゃんがなんかくれるし。適当なもんなら作れるし」 「銀時、自分で飯を作れるのか。すごいな」 桂は台所に入ったことがほとんど無かった。入るべきところではなかったからだ。銀時は桂が驚く顔を、なかなか悪くない気分で見る。 「まぁな、そんくらいできらぁ」 「・・・だがお前の飯はろくなものでなさそうだな。気が向いたら家に来い。おまえ最近全然来ないからな」 桂の言葉に、得意気だった銀時の顔がゆがむ。春に桂の家をおとずれたときの惨状を思い出したのだ。赤い、派手な着物とけばけばしい紅白粉と。 「やだよ、お前の姉ちゃんにまたコスプレさせられたくねぇもん」 「あのときのことは謝っただろうが」 「まー、でもあん時のお前は実際笑えたよな」 「言うな!」 桂はとたんに憮然とした顔になり、うなった。銀時はそれを見て大げさに笑う。 「じゃあアレだ、あの饅頭食わせてくれるんなら、お前の家に行ってやらなくもねぇよ」 「何だ偉そうに。だが、そうだな、もしあったら食わせてやる」 「マジでか!やった!あーでも俺アレだ。あのプリンってのが食ってみてぇんだよな〜。そんなんねぇの?」 「贅沢者!それは上方や江戸の金持ちだとか公家しか食べられぬぞ!・・・それにアレは天人の食べものだと聞いた」 「わかってるって。言ってみたかっただけに決まってんだろ」 「そうか」 「ああ、そうだよ」 二人は少年から青年への過渡期を迎えていた。こうしてじゃれ合って笑い合える時間も、あとどれほどかわからない。天人が来てからというもの、各地できな臭い話も聞く。 桂は去年、無事元服の儀を迎えた。 二人とも成人して、大人の知識―酒や女や戦の作法や―を少しずつ知り始めた。元服すれば全ては自分の責任であり、自分の行動は家や国を背負うことになる。 今日に限って桂も珍しくだらだらとふざけているのは、来るべき戦乱を予感していたからだったのかもしれない。今だけはまだ子供のまま。少しでもこの時間を長くとどめたかった。 二人は黙ってゆっくりと降ってくる雪を見つめている。 |