雷鳴







西の空が暗いと思っていたら、案の定遠くから雷鳴が聞こえてきた。
夏の夕方、陽は落ちていないはずのなのに、夜のような暗闇が広がる。

「高杉、一雨来そうだ。何処かに入るぞ」

桂は冷静にそう言ったが、少しだけ声が震えていた。
ここにくる間、峠を越えたあたりで賊におそわれた。
2人に対し、相手は6人。
造作もなかったが、戦に敗れた後、桂は人を斬らなくなっていたので、彼が人を斬るのを見たのは久々だった。
あの血に濡れた戦いに終止符が打たれて数ヶ月。
仲間は方々に散り、残されてしまった者はみなひっそりと幕府の追跡を逃れて生きていた。この二人も同じように、宛てもなくただ二人、幕府の手から逃げていた。



都合の良いことに、ふもとに程近い山道の脇にあばら屋があった。
木材の具合を見るとそう古いものではなかったが、使う者がいないために死んだように澱んでいる。

二人は少し雨に降られていた。
背後から閃光が走ったと思った次の瞬間には、ひときわ大きな雷鳴が轟いて、すぐに大粒の雨が降ってきた。
降られたのはほんの一時だったのに、二人ともかなり濡れている。
桂が火を起こしたので、高杉は無造作に羽織を脱いだ。

「おい、そんなふうに脱ぎ捨てるやつがあるか。きちんと干せ、皺になる」

「構わねェよ」

桂は片眉を跳ね上げて露骨に嫌な顔をする。
その顔がおかしくて笑うと、さらに嫌な顔をした。

「貸せ。干してやるから」

高杉は自分のわがままが通ったことに満足する。
雷鳴は絶えず轟き、あばら屋が音を立てて揺れる。
火は頼りなく、安息を与えるにはあまりにも弱かった。
桂はうつむき加減でだんまりを決め込んでいた。

「お前が人を斬るところは久しぶりに見たぜ」

「相変わらず、鳥肌が立つ程綺麗じゃねェか」

「そうか?・・・お前が言うなら、そうかもしれんな」

桂はうつろな目で火を見つめている。その目に妖しいひかりが宿っているのに高杉はとっくに気づいていた。
ざあざあと雨は降りしきっている。雷鳴と雨音で耳が浸食されそうだった。
弱弱しいあかりだけのこのあばら屋には、何か得体の知れない狂気のようなものが住み着いているのかも知れなかった。

「人を斬るとき、気が触れそうになることがある」

桂の声は雨音に消されて聞き取りにくい。

「俺はねェよ」

「そうだろうな」

桂は自嘲気味にふっと笑ってから、静かに続ける。

「それでもな、銀時を見ていると俺は狂わずに済んだ。残酷だとわかってはいるが、俺は銀時が狂うのを見て己の平静を保っていた」

火は弱く、濡れた髪やきものを乾かすことはできない。
桂の髪からひとしずく、雨が落ちるのが見える。

「だがもう、銀時はいないのだ」

「そんでお前は狂っちまいそうだ、ってか」

「高杉・・・」

桂のかすれた声は小さいはずなのに、やけに大きく響いた気がした。
桂の目が高杉を捕らえる。小さな炎が黒い瞳に映っていた。狂気と欲情に濡れた目だと高杉は思う。
雨に濡れた桂の肌が、暗闇の中でぼうっと白く浮かんで見える。

狂っているのはこちらも同じ。
ならばいっそ、抑えていた桂の狂気をすべて暴き出してやろうか。
桂の目に浮かぶ狂気は今にもあふれて零れそうだ。

「覚悟、できてんのか」

「覚悟?何のだ」

桂は妖艶な目をしている。
先ほど人を斬ったときの興奮が、彼の体内でずっとくすぶっているのだろう。
桂が狂気を抑えきれずに、人知れず興奮していたのかと思うと、高杉はぞくぞくした。



桂の中は熱く絡みついて、高杉を狂気に引き摺り込む。
慣れた体は男をたやすく受け止めた。

「ああ、高杉、っ・・」

「誰に、っ、仕込まれたんだァ?テメェは・・」

銀時か。
それとも別の男か。

桂は聞こえない振りをしてかすれた声で喘ぐ。
その声も雨音に侵食されていく。

熱ィ。
濡れた肌の感触は、気持ちがいいのか悪いのかもわからない。ただ鮮明すぎる。
桂がこんな狂気を身の内に抱えていたなんて、高杉は知らなかった。

こんな味を俺に覚えさせて、それでどうしろってんだ?

桂の脚がけいれんしたように引き攣れる。
高杉は刀を突き刺すのと同じ感覚をもって、桂を深く貫いた。
一際大きな雷鳴に、果ての二人の声は掻き消された。

桂を狂気に落としてやっているはずの高杉は、自分の中の狂気をあぶり出されていく。


雨は止まず、いつまでも雷鳴が響いていた。



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