ゆくえ 喪服を着るのは久々だった。長いこと仕舞っていたので、樟脳臭い。 えりあしが寒いのには、ようやく馴染んできたところだ。 下町の雑多な細い道に入る。良く晴れた日で、小さな民家や築30年の低いビルの切れ間からそそぐ陽射が眩しい。電線のいくつも連なった一番端に、こぢんまりした宿がある。 ここの主人は昔からの協力者のひとりで、何かと世話を焼いてもらっている。特にこういった時には、ここを使うのが常だった。 「桂さん」 扉をくぐるなり、控えていた仲間が声をかけてきた。大柄ではあるが人好きのする人相で、よく気の付く男だ。 「お迎えにあがると申しましたのに」 「いや、皆に迷惑をかけるわけには行かぬ。子供でもあるまいし、気にするな」 「しかし」 男は桂に食い下がる。 「まだお身体も万全ではございません。そんなお身体で、もしまた何かあったら」 人の良さそうな顔の眉が寄せられる。その切な様子に桂の胸が痛んだ。 「すまない、お前たちにはずいぶん心配をかけたようだ。だが、俺のことなら案ずるな」 桂は安心させるように、努めてゆっくり言葉をかけた。 ちょうどそこに店の主人が通りがかった。彼はそのまま通り過ぎてから一呼吸置いて、はじかれたように振向き、驚いた顔で桂をあらためる。 「しばらくぶりだ、御仁」 「……桂さん、ですかい」 最後に会ったときから、ずいぶん歳をとったように見えた。髷には白い物が混じり、滋味のある皺がふえている。 「ずいぶんと、御変りになられましたな」 彼はゆるやかに目を細めた。その笑顔に、彼の重ねてきた歳月をおもう。 「なに、ただのイメチェンだ。俺は何も変わらんよ」 言って桂もまた、眦を下げた。 主人に丁寧に礼を言った後、桂はすぐに奥にある古い宴会場に通された。今日は座敷いっぱいに座布団が敷き詰められ、菊の花が質素に飾られている。 遺体のほとんどは損傷が激しく、すぐに荼毘に付せられた。また墜とされた船に乗っていた者の中には、遺体も見つからない者もいた。命を落とした者、その数は20名近くに及んだ。生き残った者も負傷し、喪服の中で包帯や吊り布がやたらと目立っている。 式はしめやかに営まれた。皆一様に口を閉ざし、経を上げる坊主の声のみが静かに満ちる。並べられた遺影の一つ一つを、桂は自らに刻みつけてていく。親兄弟を天人に殺された若者もいた。くにを捨て、親兄弟に二度と会えぬままだった者もいた。 仲間に一言でも告げていれば、あるいはこの者たちは死なずに済んだのかもしれない。 「今回の件では、皆に多大な迷惑をかけた。本当にすまなかった」 式の終わった大広間で、桂は仲間の志士に頭を下げた。 「俺の勝手な判断でお前たちを混乱させ、船も仲間も失った。本当に申し訳ない」 「やめてください桂さん!」 「桂さんがご無事で何よりです、それ以上何を望みましょう」 「挙句、高杉とは決裂してしまった。俺は結局、お前たちを傷つけただけだ」 額をささくれた畳にこすりつける。背中の傷が引き攣れたが、桂は姿勢を崩すことはなかった。 「やめてください桂さん!今回の件は俺たちが勝手にしたことです、責があるのは我らのほうです」 「それに桂さんがこうしてご無事だったんですから、死んだ彼らも本望でしょう」 その言葉に桂ははじかれたように顔をあげる。 船上での幼馴染の言葉と狂気をはらんだ笑みが蘇る。 「いかん!お前たち、これだけははっきり言っておく。俺のために命を失うな。それを本望だなどと、決して言ってくれるな」 頼む、と桂はもう一度深く頭を下げた。 「顔をあげてくだせぇ桂さん、お体に障ります」 ゆっくりかけられたのは宿の主人の声だった。 「そうやって、なんでも背負いなさんのは、昔からちっともかわりゃしないですねぇ」 「御仁」 「誰のせいとか責任とか、そんなことじゃあございませんよ。己の意志で、したいことをしたんです。桂さん、あんたが一人で頑張ろうとしたように」 「だが」 「桂さんのお力が、江戸を守ったんです。感謝こそすれ、誰が責めようというものですかい」 主人の言葉に、その場にいた皆が頭を下げた。 「桂さん、……ありがとうございます」 すすり泣く声がきこえる。無事でよかったとささやく声がする。遺影の仲間たちは笑顔だった。 赦されているのか。 桂は目を閉じる。それでも背中の痛みは、まだしばらく消えそうにない。 今回の件で桂が失ったものは大きく、船の修理や各地への連絡、体制の立て直しに資金繰り、やるべきことは山のようにあった。この先しばらく、桂の身があくことはないだろう。 その前にせめて、と桂は思った。 あの男に会いたい、会って抱き合いたい。それが無理なら、一目会うだけでもいい。 葬儀の帰り、桂は一人でこっそり万事屋を訪ねようと思っていた。けれど「どうしても」と泣いて懇願されては仕方ない。桂は3人の浪士に護衛されながら、用意された車に乗り込んだ。 気温が上昇し、よく晴れた空は水蒸気でかすかにけぶっている。 窓ガラスには外から見えないようにシートが張ってあり、シート越しの空は少し彩度を落とした。 車はゆっくり発進する。ゆるやかに速度を上げ、ウィンドウ越しの景色をつぎつぎに塗りかえてゆく。瓦の波や風になびく洗濯物、手をつないで歩く母娘。全く変わらない風景がずっと続いている。 それが眩しくて桂は目を眇めた。 仲間を失ったと同時に、桂はあの日いくつもの命を奪っている。奪うことに関して言えば、いまさら何の言い訳も言い逃れもするつもりはない。だが自分の大事なものを守るため、知らぬ誰かの大事なものを奪うのをためらわなかったことが、少しだけ後ろめたかった。 渋滞の大通りを避けて裏道に入る。このあたりには見覚えがあった。 桂が道を思い出しかけたとき、見たことのある影が近づいてくるのに気がついた。 紫の傘がくるくる回る。 よれてくすんだ色の甚平には、桂も覚えがあった。一応羽織をひっかけているが、全身を覆う包帯は隠しきれていない。新八の肩に凭れながら、ゆっくり歩みを進めている。新八の家で療養するのだろうか。 心臓がうずいた。 車を止めて、駆け寄りたい。そう強く思ったが、なぜか体は全く動かなかった。 「桂さん、あの男は」 助手席からそう声をかけられた。 「ああ、銀時と、子供たちだ」 「止めましょうか、我々も随分助けられましたし、ぜひお礼を」 「いや、いい」 桂は銀時を見つめながら言った。 なぜ酷い怪我をしているのか、詳しい事情は知らないが、酷く傷つけられた脇腹をかばっている。 あの日の空中で、紅桜を打った鍛冶屋の妹に頼まれてきたのだとだけ聞いた。それだけしか桂はまだ知らない。 道を違えて何年も経つが、全く違うところでそれぞれの魂を貫きながら、いつの間にか同じところに辿りついたのは、とても数奇なことのように桂には思えた。そこにいたのが、これもまた同じように時間や思いを共有した高杉であったことも。 「ですが、我々も世話になりましたし、感謝の言葉を」 「いいと言っている」 三人組はもう目の前だ。セダン型の車に乗りこんだ桂からは、少し銀時の顔を見上げる形になる。 会ったら、安っぽい愛の言葉を言うかもしれないと思った。 だから今は会えない。 見つめる桂の目には柔和な光が宿っている。 ちんたら歩く三人組と、桂を乗せた車がすれ違う。 そのときには、桂はもうまっすぐ前だけを見つめていた。 すれ違いざまに一瞬だけ、銀時の視線を感じた気がしたのだが、それはたぶん桂の勘違いで、少女みたいなささやかな願望だろう。 けれど桂の心は妙に晴れ渡った。どんな言葉よりも、どんな人よりも、ただのそのすれ違いが、桂の心を許したのだ。 桂はウィンドウを開ける。強く吹く混んできた風に、短くなった髪が遊ぶ。 「礼なら、今度俺から伝えておこう」 『ヅラァ、お前が変わった時は俺がまっ先に叩き斬ってやらァ』 声が蘇り桂は笑みを浮かべる。 隔てるものがなくなった空は晴れ渡り、日差しがきらきら光った。 完 |
映画記念ということで、ひとつご容赦願えませぬか
ひさびさすぎてリハビリだというのに、紅桜なんて無謀すぎますよね
わかっっちゃいるけどやめられない
それが銀桂…
紅桜は、何度書いても書き足りません。
なんだかラブ要素少ない昨今で申し訳ないです…しかしこれでもラブラブですよ、私のとこの銀桂。
この銀桂もそうとう出来上がってる銀桂ですから!
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