センチメンタルビバノン 大寒にふさわしく、江戸の町は冷え込んでいた。結野アナによれば、上空にマイナス何十度だかの寒波が来ていて、日本列島はこの冬一番の寒さに見舞われているとか。 寒さで眼を覚ました銀時は、仕方なく起きだして便所に向かう。板の間は冷え切っていて、つま先立ちで小走りになる。ぶるっと肩を震わせつつ戸を開け、いざ発射、というときに異変に気がついた。慌てて取り出したものを仕舞い、台所やら風呂やらを見て回る。家じゅうの蛇口という蛇口をひねったが、ちょっと危険な音がするだけで、水が出てこない。 「マジでか」 要するに、あまりの寒さで全面的に水道が凍結していた。 顔を洗えない、歯が磨けない、トイレに行けないと神楽に叱責されるたび、ウルセー!と怒鳴りつけ、なんとか水道業者に連絡をつけた。 「あァ、今日はみんなそんなカンジだから、今日中に修理できるかはわかりませんねえ。行けそうになったら電話しますけど、しばらくはご近所さんと助け合って何とかしてください。ま、昼間には融けて直るかもしれないし、ガハハハ」 呑気な業者の対応にブチ切れ寸前の銀時だったが、それでも何とか早めにお願いしますとだけ告げ、電話を切った。昼間には融けるかも、と言ったって、今日の江戸は大荒れで、昼間もほとんど日差しはないらしい。 とりあえず頭を地にめり込むまで下げて、便所だけはなんとか階下を貸してもらった。「レディに顔も洗わせないつもりじゃあないアルな?」と拳を握られたので、仕方なく神楽のために洗面所も使わせてくれと頼み込んだ。 「なんのために天気予報があるんだい?夜のうちに備えとくのが常識だよッ、このバカ侍が!」 罵られても、反論の余地は無し。 やってきた新八には心底呆れられ、「ウチに来ますか?(笑)」と言ってはくれたものの、眼鏡の奥には「この人マジでバカなんじゃないか」という感情が透けて見えた。語尾が(笑)になっている時点で、もう完全にバカにされている。銀時は無性にイラつき「誰が行くか、あんなゴリラの檻!」と罵り、きっぱり断ってやった。もちろん、見栄っ張り以外の何物でもない。 夜になっても、万事屋の電話は鳴らない。時計はもう19時近くを指している。この時点で連絡がないなら、今日の修理は無理だということだろう。 今日一日、銀時は水道のない不便さを身を以て知った。用を足すのには、いちいち階下に降りて頭を下げなければならなかった。当然米一つ炊くこともできないわけで、夕食はスーパーで買った惣菜だ。手も洗えなければ茶も飲めない。当然風呂にも入れない。冬場だし、一日二日風呂に入らなくても、別に問題ないと思っていた銀時だが、世の中甘くはなかった。 当然、神楽がごねたのだ。最初は適当に神楽の文句を受け流していた。だが最終的に「私が入りたいのもあるけど、ホントは風呂入ってくれないと、銀ちゃんがクサイから嫌アル。足とかクサくて同じ空間にいられないアル」と言い出したので、仕方なくちょっと歩いたところにある銭湯に行くことになった。 銭湯は懐かしさすら漂うたたずまいだ。未だに番台があって、眠たげな顔のバアさんが腰かけている。寒いからか、銀時の家と同じく水道管が凍結したからか、わりあい人が入っているように思える。常連らしきしわくちゃの爺さんから、子供を連れた働き盛りのオッさんまで、客は様々だ。確か近くに大型のスパ的なオシャレ入浴施設ができたと聞いていた。それでも案外流行っているということは、やっぱり世の中不景気なのか。 脱衣所の古い木製棚には、古びた安い竹籠が収まっている。脱いだシャツやら羽織やらをその中に突っ込んで、磨りガラスの戸を開けた。途端にあたたかい湿気が体を包む。外がバカみたいに寒いからか、天国みたいに感じられた。洗い場でざっと体を流すと、水と湯の有難味が沁み渡る。 大きな湯船は、お約束みたいに富士山の描かれた壁を背に鎮座している。腰に巻いたタオルを解きながら、爪先を湯に差し入れた。湯加減は少々熱く、寒い夜にはちょうどいい。肩までつかり、じんわり染み入るあたたかさに、はあと深くため息をついたときだった。 「エリザベス!どこだ?エリザベス!」 声を聞いた瞬間、銀時は今すぐ銭湯から出て行きたくなった。見ると、入口あたりに見知った長髪がいる。 何で攘夷志士がのんびり銭湯に来てるわけ。っつーかエリザベスって、脱いだだけなんじゃねーの?その辺にいるメタボで脛毛濃いヤツだろーが。 聞こえもしないのに、銀時は思わず声に出さずに突っ込んだ。 「おかしいな。……だがこのままだと俺も寒いし、とりあえず先に入るとするか」 桂は洗い場に向かい、先程まで銀時が座っていた椅子に腰かける。 「む、シャンプーが置きっぱなしではないか!場所取りなど、公共の場ではあるまじき行為だな」 桂は先ほど銀時が置いたままにしていたツバキをみつけ、ブチブチ文句を垂れている。言いながらヤツは気持ち悪い柄(要するにエリザベス柄)のポーチから石鹸を取り出し、攘夷志士タオルにこすりつけはじめた。ああいうところは昔から全く変わっていない。 銀時は気付かれていないのをいいことに、ちゃっかりその一部始終を眺める。 もう長いことずっと見ていなかった背中は、相変わらずの痩せぎすだ。あれに触れたくて、悶々とした時期もあったけれど。銀時は遠い昔のように思い出す。結局なにを打ち明けるでもなく、触れることのないままはぐれてしまったのは、実は思うほど遠いことでははない。 相変わらず白い背中は銀時を誘惑する。けれどあの時みたいな胸の痛みは不思議と感じない。以前は抱きしめて噛みついてみたかったが、今はくすぐって困らせてやりたくなる、そんな気分だ。 桂は洗面器で顔を軽く洗うと、勢いの良いシャワーを漢らしく頭から被り、あろうことか固形石鹸で髪をワシワシやり始めた。 「エエエエエ固形石鹸派ァァ?!バカじゃねーのあいつ!?つーか、俺のツバキ使えばいいじゃん、バカじゃね?」 あのサラサラとまっすぐな髪が、まさか固形石鹸の賜物だとは。くせ毛に良いと聞いて必死で高いツバキを使っている銀時は、思わず歯ぎしりした。だがあの長髪がどうやって洗われているのか、常々気になっていた銀時は、みるみる泡につつまれていく髪をちょっと感心しながら眺める。桂は泡だらけの頭を何度もがしがしやった後、また豪快にシャワーを頭からかぶる。すると長髪が顔回りにまで張り付いて、なんかの妖怪みたいになった。昔うっかり見てしまった和製ホラーのオバケを思い出し、湯の中なのに背筋が冷える。 普段あまり器用ではない指先が、手早く長い髪水分を切って後ろでまとめる。桂はひとまとめにした髪くるくる巻きあげ、色気のない櫛を刺した。それだけで一糸の乱れもなく留るのだから、やっぱり桂の髪は、銀時とは違う素材でできているに決まっている。 髪をまとめた桂は、攘夷志士タオルで体を洗い始めた。泡で覆われた、耳から肩にかけての流線を盗み見る。 あの肩に、一度だけ口づけたことがあった。へまをした桂が肩をやられて、消毒だとふざけて舐めてみた。そんな古傷を思い出してしまう。 銀時が感傷に浸っている間に、桂はテキパキと体を流し、ついでに洗い場を流し、タオルを手早く巻いて、ポーチを銀時のツバキごと共用の棚に並べた。 はっと気づけば、ヤツは湯船まであと少しのところまで来ていた。きょろきょろ周りを見渡しているのは、まだペットを探しているせいだろう。だが生憎、ペットの中身と思しきシルエットは見つからない。 銀時は完全に湯船から出るタイミングを失った。ここで出て行っても鉢合わせするだけだし、だいたい、逃げる理由もないのにこそこそくれるのも釈然としない。どうしたものかと思っているうち、ヤツのほうから銀時に気がついた。 「銀時ではないか!貴様、ここで何をしている」 「えっ……、何してるも何も、フロ入ってんのは見りゃわかんだろ」 「そうか。そういえば、エリザベスを見なかったか?厠に行ってから来ると書いていたが、いっこうに姿が見えんでな」 「うん、たぶん見つけらんねーと思うわ……」 「意外と人も入っているからなあ。仕方ない、しばしここでゆっくり待つか」 桂が湯に爪先を差し入れる。何の遠慮もなく腰のタオルを取ったので、銀時はさりげなく目をそらした。悶々とした時期はとっくの昔に過ぎてしまったのに、いざ何も身に付けていない桂を隣にすると、どうしていいのかわからない。頭にタオルを乗せた横顔が湯気でかすんでいる。普段能面みたいに白く無表情な男の頬が、うすく染まり、項からつっと水滴がつたって湯に溶けた。 「今日は一段と冷えるな」 「そーですね」 「ここには良く来るのか?」 「別に。そんなゼータク言ってらんねーよ。家の小せぇ風呂で我慢してます〜」 「かぶき町で風呂付きの家なら、じゅうぶん贅沢だろうが。今日はなぜここへ来た?」 「まあいろいろあって……風呂使えなくなっちまってな。そういうテメーは?風呂なしの家なわけ?」 「いや、風呂はある。が、実は今朝からなぜか水道が使えなくなったのだ。……おそらくこれは何かの陰謀だ。貴様のところもきっと巻き込まれたのだ」 「……テメーはバカか。今日寒かっただろ、それで水道管が凍っちまったの。水抜きもしねーで寝るから、そういうことになるんだよバカ」 銀時は自分のことをまるっと棚に上げた。 「バカじゃない桂だ。水道管が凍っただと?それは一大事ではないか!幕府の狗め、なんと卑怯なマネを」 「だから幕府の狗カンケーねェよ!!お天気のせいだから!……明日、修理屋紹介してやっから、直してもらっとけ」 「そうか、すまんな、恩に着るぞ」 桂は銀時の気も知らないで、ふっと口元を緩める。ずいぶん丸くなったものだ。これもまた自分のことを棚に上げ、銀時はその笑顔を眩しく思う。 「思えば、貴様とこうしてのんびり風呂に入ることもなかったな」 「そーですね」 「わりと長いこと一緒にいたのにな。俺は結局、お前のことは未だによくわからんままだ」 「そーですか」 「勿体ないことをしたものだ。俺はお前の好きなものの一つも知らなんだ」 テメーが気付くわけねーだろーが、コノヤロー。 口にださないまま銀時は毒づいた。だって言わなかったから。何があっても、死んでも言わないと決めていたからだ。 「だが、これから知ることができるな」 矢継ぎ早に繰り出される桂からの攻撃に、銀時はそろそろ音を上げそうだ。そんな顔で、無防備な姿で、赤く染まった肌で。桂を構成する一つ一つの要素と、目の前にあるすべての物、広場に響く湯の音だとか、水蒸気の一粒一粒まで、銀時を陥落させようと躍起になっているらしい。 幸い湯船にいる連中とは距離がある。それにやたらと湯気が溢れてきて、こちらから洗い場の辺りはもうかすんでよく見えない。こうなってしまえばもう仕方なし。銀時は奥歯をぎりっと噛みしめてから、桂に向きなおった。こぼれる髪を耳にかける桂が、無邪気な顔で何だと問いかける。多分このバカには理屈をこねても通じない。 水気を含んだその唇。 一気にその距離を縮めようとした瞬間。 「エリザベス!!」 桂が突然立ち上がった。同時に湯が津波になって頭から襲いかかり、銀時を湯の中に引っ張り込んだ。 「ガハッ……ちょ、ま、オイ!!!」 危うく溺れかけた銀時が怒鳴ったが、すでに桂は湯船から出ている。はっと不気味な影に気づいて見上げると、脱衣所の扉から桂のペットが顔を出していた。 「あンの野郎……!」 桂は無邪気にペットに駆け寄る。思わず銀時は、そのまま滑って転んでしまえと呪いをかけた。すると呪いが通じたのか、途端に桂はつるんと足を滑らせ、つんのめる。だがあろうことか、その体は彼のペットに抱きとめられた。 『大丈夫ですか、桂さん』 「どこに行っていたんだ、心配しただろう」 『混んでたので、先に上がってました』 「そうかそうか、一人で全部できたのか?えらいぞォ〜」 桂は背伸びしてエリザベスの頭を撫でている。その体をエリザベスがバスタオルでくるみ、二人は仲良く脱衣所に消えて行った。戸が閉まる一瞬前、銀時はちらっと振り返ったエリザベスと目があった気がした。その目に表情なんてあるはずなかったが、銀時の心は敗北感で黒く染まった。 結局、神楽よりも15分遅くなった銀時はしこたま彼女に殴られ、風呂上りの牛乳代も巻き上げられた。一段と冷たくなった夜の風に身をさらしながら、肩をすくませ家路につく。 だが彼の懐には、自分のツバキと一緒に、桂の忘れて行ったポーチが入っている。近くで眺めても十分に気持ちの悪い柄の逸品だったけれど、銀時はそれを大事に仕舞いこんでいた。 明日、水道修理屋の紹介ついでに渡してやろうかと思ったが、もう少し口実をもっていたい。 返してやるのは、もう少し先になりそうだ。 ××× |
まだくっついていない、ピュア銀桂です。
最近寒くて風呂に入りびたりだったので、銀さんたちにも入っていただきました。
現代になってもまだお互い片思いし続けてる、カワイイ銀桂も好きです。いかがでしょう?
ちなみに夏に出した「初恋」とほんのちょっとリンクさせています。
あれの続きや別サイドの話も、いつか書きたいなとは思っていたので…
とりあえず湯冷めにはお気をつけ下さい。
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