ビター





陽は長くなったけれど、2月は1年の中で一番寒い時期だ。
今日ばかりは熱くなってもいい日だったけれど、銀魂高校ではそんなこともなく、ただの普通の火曜日だった。若干名を除いて。

昨日、授業が面倒になった銀八は、いきなり授業をホームルームに変えた。議題は「もうすぐ修学旅行あっからてきとーにお前ら班とか決めとけ」だ。けれど2zメンバーのこと、決め事がすんなり決まるわけがなく、結局班は決まらずじまいだ。
そのとき不意に、銀八が明日のバレンタインの話を振った。けれど単にタダチョコ欲しさに振ったそのネタがいけなかった。


バレンタインの「お世話になってます(っていうかしてやってます)チョコ」として、銀八は女子生徒一同からチロル詰め合わせ(多分500円しない)と、さっちゃんから巨大で怪しげなチョコをもらっていた。口では「しょぼい」だの「足りねえ」だの言っていた銀八だったが、まんざらでもない様子だった。その証拠に、いつもはさっさと手をつけてしまうチョコの包みはそのままで、国語準備室のテーブルに置いてあった。
桂はそのチョコをじっと見詰めている。

ここは俺も、何かしたほうがいいんじゃないか。

桂は昨日からずっとそれを考えている。
昨日はそろばん塾の日だった。最近サボりがちだった高杉がめずらしく時間前に来ていて、不機嫌そうに席についていた。その机にはこぼれそうなほど沢山のチョコが入れられ(曜日の違う塾生からのフライイングチョコだろう)、さらに鞄の中にも既にチョコが入っている。桂はおもわずそれをじっと見た。すると高杉は何を勘違いしたのか、鞄からはみ出しそうなチョコを2・3個放ってよこしたのだ。
いつもは絶対に受け取らないだろうそのチョコを、うっかり受け取ってしまったのはなぜか。そして国語準備室に来た時点でその鞄にまだそのチョコが入っているのはなぜか。



「ヅラ、今日はそろばんとか部活とか、ねぇの」

銀八は銜え煙草で桂を振り返りもせずに言った。採点か何かをしているのだろう、ちょっと集中しているようだった。

「今日は何も」

短く答えた桂はしかめっつらをして、何か言いたいのか、挙動不審に口を開けたり閉じたりしている。桂はわりと歯に衣着せずに物をはっきり言うので、様子の違う生徒が気になったのだろう。銀八はやっと書きものをやめて顔をあげた。

「どーしたァ?」

銀八が桂の視線の先を追いかけると、そこにはチロルチョコがある。銀八の顔がいじわるく笑った。

「何?ヅラ君ってば、やきもち?」

銀八は軽い冗談のつもりだったのだが、桂は銀八を睨みつけて一瞬何か躊躇した後、鞄から乱暴に小綺麗な包み取りだす。

「え、お前、うそ」

白くてシンプルな包みに、真っ赤なリボンがかかっている。
片手に収まってしまいそうな、小さい包み。

銀八の口からぽろっと煙草が落ちる。慌ててそれを拾う銀八を尻目に、桂は包みをチロルチョコの横に置いた。
銀八は目を丸くして固まっていた。

「それ何・・・くれんの」

またバカにされると思っていた桂は、思わぬ反応があったことに驚いた。

「そうですけど、でもそれ」

「ヅラ」

固まっていた銀八が、桂を見て破顔する。

「マジか。何だよお前、くれるんなら勿体ぶってんじゃねーよ・・・何これ、高そうなんだけど?!」

銀八は軽口を叩くような口調だったけれど、子供のような顔をしている。

こんな顔を見られるなら、バレンタインも捨てたものじゃない。来年はちゃんと先生にチョコを買おう。

それは本当は桂が用意したものではなかった。
そろばん塾で高杉にもらったチョコのうち、一番当たり障りのなさそうなものを、桂が選んだのだ。

先生はバレンタインなんて、タダチョコの日、くらいにしか考えていないだろう。大体こんな習慣は菓子屋の陰謀だから、先生だって別に気にしていないだろう。それに先生のことだから、どうせ生徒から沢山もらえるだろう。催促までしてたくらいだし。

桂がチョコを買わなかったのは、こんなつまらない意地と嫉妬のせいだった。本当は渡さないつもりでいたのだ。渡すとしても、友達からもらった余りものだ、と言って渡すつもりだった。桂は本当のことを言おうと思っていたけれど、嬉しそうな銀八の様子が、その言葉を封じた。

「いや〜お前もたまには気が利くね。開けてもいい?っていうかもう開けてるけど」

銀八が器用にリボンをほどき、包みを開けていく。
そこまではよかったのだ。


「何だこれ?」

箱の中には、高杉宛のメッセージが入っていた。

「あ」

可愛いらしい小さなカードに、「高杉晋助様へ。憧れの、素敵な晋助先輩のことをずっと応援してるっス。私の気持ち、受け取って欲しいっス。来島また子」と書いてある。

桂は焦った。

「あ・・ええと、違うんです。これは」

「高杉って誰?」

銀八の声には抑揚がない。桂の頭の中で警鐘が鳴る。

「いえ、俺が高杉にあげたんじゃありません、実はその、高杉に」

「また子ちゃんって子が高杉君って子にあげたチョコを、俺にくれたんだ?」

まずい。
いくら桂でも、これがどれ程まずい状況なのかはよくわかる。

「すみません」

本当のことを話しても、どう言い訳しても、とにかくそれはまずい方向にしか進まない。
しまった。

「・・・これはないだろ」

返す言葉も無い。

「ほかの男が誰かにもらってきたやつをくれても、何も嬉しくねえよ」

銀八が深くため息をつく。

「お前、それがどんなに酷いことかわかるか?お前がやったことは、俺はともかくそのチョコを高杉君にやった、その女の子の気持ちも踏みにじってんだ」

その通りだ。

「・・・お前が考えなしにこんなことするとは思いたくねえし、いろいろ悩んで結局こうなっちまったのかもしれないけどな。お前はまだいろんな経験値が低いから、悩むのは仕方ない。でももう少し、他の人のことを考えてやれ。自分だけじゃなく」

桂は急に、銀八が「教師」であることを思い出した。
それに比べて俺は、なんて幼い。

「先生、」

「帰れ」

声をかけられても、足が動かない。焦りと後悔で手足の先かがしびれている。

「帰れっつってんだろ」

銀八が少し声を荒げたので、桂はようやく重い足を引きずって部屋を後にする。

時間を巻き戻せたら良い。もう一度、昨日の夜、いや準備室であの包みを渡す直前だっていい。出来るなら、全部やり直したかった。
完全に失敗した桂は、自分の幼さを痛感していた。
涙は出ない。
ただ自分を恥じた。

銀八の言うとおり、桂はいままで自分を曲げずにまっすぐ生きてきた。もし相手と意見が違えば、関らなければいいだけのこと。
けれど、今回ばかりはそんなわけには行かない。桂は銀八との関係を、少しだって悪くさせたくないのだ。
だがどうすれば銀八が許してくれるのかもわからない。つい最悪の考えが浮かんでしまう。つまり嫌われた、と。

桂は慌てた。
このまま何も始まらないうちに終わってしまうのは避けねばならない。
銀八は何を考えているのかわからない。けれど俺に一生懸命教えてくれた。口では文句ばかり言うが、なんだかんだとやさしい。いつもの死んだような目が、たまにイタズラっぽく光るのが好きだ。銀八と対等になりたかった。
残念ながら今の桂では、10年の差を埋めることは容易でない。

それならば、どうする。
俺は一体どうすればいいのか。










続く

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