不健全な精神は健全な肉体に宿る @ 修学旅行が近付くと、担任は俄かに忙しくなる。打ち合わせとか書類作成とか打ち合わせとかバカ生徒のシバきとか打ち合わせとか諸々の手配とか打ち合わせとか。 帰る時刻は毎日22時半を超え、数々の雑用にストレスと煙草の量は増えるばかり。 ただでさえ苛立っている銀八をさらに追い詰めたのは、こともあろうに桂だった。桂は何を思ったのか、修学旅行の1週間ほど前から挙動不審になった。常から挙動不審というか、どうしようもないバカだとは重々承知していた銀八だったが、桂のこの変化にはさすがに戸惑いを隠せない。桂は猿飛よろしく、不健全なアピールを始めたのだ。しかも、間違ったアピールを。 ある放課後はこうだ。 銀八が桂に集めさせたプリントを受け取ろうとすると、なぜか桂はプリントを持った手をいつまでも離そうとしない。不審に思った銀八に、桂はちょっとうつむいて、「どうですか」と聞いてきた。銀八にはさっぱり話が見えない。すると桂は学ランの襟を引っ張り、「ボタン、ひとつ外してみたんですが」と真顔で言った。 どうって何が。ボタンひとつ外して、どうですか、って。だから何がどうなんだ。 銀八は桂を無視してプリントをもぎ取り、桂を準備室から追い出した。 また別の日はこうだ。 教師陣でのじゃんけんに負けて生徒全員分の旅行のしおりを作ることになった銀八は、ここぞとばかりに職権濫用して桂に手伝わせていた。そこまではよかったのだが、作業中に桂がちらちらとこちらを見てくる。そのたびに長い髪をかき上げたり「あっつい…」と言っては学ランのボタンを外したり外さなかったりする。なんなんだとイラついてまた怒鳴りつけると、桂はちょっと顔を赤らめ、それでも無表情で「こういうの、好きだと思って」とのたまった。銀八は即座に頭をぶっ叩き、「黙って手ェ動かさねェとブッ殺す」と冷酷に告げ、桂が何をしようとも見ないようにした。 銀八ははっきり言って本当に辟易し、同時にあせった。 クリスマスの一件から、桂が自分に何を求めているかはわかっているつもりだ。実際に口に出して言われたこともあるし、何度かそういうことに雪崩込んでしまえる状況もあった。自身も昔通った道なので、桂の心境は痛いほど理解しているつもりだったが、新年に立てた抱負を、たった2ヶ月で挫折させるのは、さすがにどうかと思う。それに、そんな一時の不健全な衝動に身を任せてしまう程、銀八は若くはなかった。 しかし、この修学旅行。うっかりハメを外す生徒はただでさえ多い。おまけに抱えているのは問題児ばかり。無事に帰ってこられるかだけでも非常に危ういというのに、この上桂に旅行中に迫られたら、苛立ちがピークに達して顔も見たくなくなるんじゃないかと銀八は思う。 今、桂はホームルームをとっとと終わらせようとする銀八をじっと見ている。その長い髪がなぜ高い位置で一括りにされているのか、その理由を銀八は決して聞きたくないし、考えたくもない。 明日の出発に、生徒達は浮き足立っている。 「いいかテメェら。旅行っつーがな、所詮は学校教育の一環だ。勝手なマネして先生を困らせたら置いて帰るぞー」 銀八がため息をついたので、煙草の煙がただよった。 「先生ィ!勝手なマネってなんですかァ?!」 「浮かれて女子の風呂覗いたり、女子の部屋に忍び込んだりすることだ、近藤」 「先生ェェェ!!!じゃあ、男性教師の部屋に忍び込むのはいいですかーーーっ?!」 言ったのは猿飛だった。一瞬動揺したのを見せないように必死に隠しながら、銀八は飄々と答える。 「却下。殺すぞ。つーか見つけた時点で家に強制送還させるからな」 これは、猿飛ではなく桂への忠告だった。案の定、桂はピクリと反応して、何か言いたそうにじっと見てくる。銀八はそれに気付かないフリをして、明日の注意事項と集合時間を告げ、クラスを解散させた。 がたがたとうるさく片づけをはじめたクラスの中、銀八は桂を呼び出した。桂は尻尾のように髪を揺らしてついてくる。いつもは準備室に桂を通すと、すぐにソファに座らせていたが、今回はそういうわけに行かなかった。 「ヅラ、いいか。いっこだけ言っとくからよく覚えとけ」 「ヅラじゃない桂です。何ですか」 桂はおなじみの「どうして呼ばれたのかわからない」という顔をした。 「旅行中、お前、あんまり俺に近付くなよ」 桂はきょとんとして小首をかしげた。ポニーテールの毛先がゆれる。 このしぐさは天然だと、うなじをちらりと見ながら銀八は続ける。 「部屋に来たら、マジで強制送還させるぞ」 「どうしてですか」 「お前が不健全にならないようにするためだ」 「なんですかそれ」 「最近のお前、何よ?こそこそ不健全なマネしやがって」 「いえ、俺は健全です。不健全なんて心外です」 ただ先生とセックスしたいだけです。 真面目な顔をして、堂々と桂はとんでもない宣言をしてしまった。知ってはいたけれど、あからさまに言われて銀八はため息をつく。 「いいか、まだ高校生なんだぞテメーは」 「・・・先生としたいと思うのは、なぜ不健全なんですか?健全だからこそ好きな人に欲情するんじゃないですか?それを無理やり抑えることがどうして健全なんですか」 確かにそうなのだ。健全だからこそ、相手を求める。別に求めなくても不健全というわけではないが、無理にその感情を抑えれば確かに不健全ではある。 じゃあ何か?俺はめちゃくちゃ不健全ってことになる。 それはそうだ、自分より10歳も離れた男の子相手にサカりそうになっているのだから。不健全極まりなくてしかるべきなのだ。 「いいか、お前が考えてることは、不健全極まりねぇことなんだよ。精神が不健全なの」 「じゃあそれでもいいです」 「だからダメだっつってんだろ!お前はよくても、俺がダメだ」 「でも」 「でもとか言わない!もうこの話はシメーだ。明日は早いんだからとっとと帰って準備しろ」 自分で呼んでおいて、銀八は桂をさっさと追い出した。桂が納得していないのはわかっていたけれど、この精神状態で桂とセックスについて討論したら、本格的に頭がおかしくなってしまう。 健全不健全と言いながら、自分が一番不健全だと痛感する。しかし不健全なくせに、というか不健全だからか、このところの忙しさにそういう気にもなれない。かえっても一人で処理するのも面倒なほどだ。 銀八は明日からの4泊5日間が憂鬱で仕方ない。ましてやこんなところで万が一関係が露見すれば、まだ(ほとんど)手を出していないのに、確実にこの関係は壊されてしまうし、互いに致命的なダメージを受けてしまう。 どうせガキ共ものお守りだから、そんなお約束な展開にはならねぇよな。 銀八は深くため息をつく。これから最後の打ち合わせを終わらせ、旅行の準備までしなくてはならないのだ。 「明日起きられっかな・・・」 明日からは北海道。憂鬱な気分を抱えたまま、北の大地に思いを馳せた。 続く! |