第一話「余計なひとこと」 見つけた獲物は大きい。 土方は興奮を抑えきれなかった。 奴は逃げ足が速い。昼間でも見失っているのだから、一瞬でカタをつけなければ、夜に乗じて逃げられてしまう。 『土方さん、土方さん!!応答してください、土か』 携帯からの声を斬る。 こんな時に、わめくんじゃねェ。 しかし、今夜はいけるという自信が土方にはあった。おそらく桂はこのあたりの土地勘がない。その読みは確かに当たっており、真選組は桂を窮地へ追い込んでいく。これまで散々煮え湯を飲まされてきたのだ。この機会を逃すわけには行かない。 今夜こそ痛い目を見てもらうぜ。 革のブーツでは足音を消しにくい。 気配を殺したつもりでも、おそらく桂はこちらの居場所に気づいている。奴とは塀を隔ててほぼ平行に走っているはずだ。奴が走っている道は、この先右折しかできない。そうすれば奴は俺と鉢合せだ。しかし奴は大人しく右折するようなタマじゃない。これは動物的直感だ。 まもなく奴は右折地点に差し掛かる。俺のほうが一呼吸はやい。 のるかそるか。 それでも不思議と確信が持てる。こいつは理屈じゃ収まらない。こいつを捕らえるためには、直感に頼るのが一番だ。 おそらくは、上。 ためらわずに駆け登れ。 火花が空に散った。 刀がまともにぶつかり合って、激しい衝撃をたてる。下から勢いよく突き出された得物は太刀ではない、脇差だ。そんなものでは土方の刀を制することは出来ない。上から桂に踊りかかった土方は、刀に全ての体重をかけ、桂を叩き落とした。上からの加重に押された桂は、なんとか着地したものの体勢が悪かった。土方はすぐに桂の袖を捕らえ、その体を突き崩し、間髪入れず壁に太刀を突き立てた。 「年貢の納め時だ、桂」 桂は動かない。こちらの出方を伺っているのか。 「テメェ、ちっと油断しすぎたな」 どちらのものともいえぬ殺気が満ちていき、土方は興奮を止められない。 「いい眺めだな?テメェの腑抜けた駒どもはどうした?助けにも来れねえたァ、とんだ捨て駒だ」 瞬間、閃光が走った。 それは正確には桂の太刀筋であったのだが、土方には殺気に満ちた桂の目のひかりに見えた。 一瞬怯んだ隙に、桂は捕らえられた羽織を残して土方の前から消えた。 土方は思わず舌打った。 油断した。桂を追い詰めたことに酔って、いつになく饒舌になった己の失態だ。 桂の消えた一瞬後に桂を追うが、角を曲ったところで道がひらけた。そこには桂の姿は無く、不気味なほど静かな夜が広がっていた。 完全に見失った。しかし殺気はまだ残っている。遠くには行っていないはずだ、どこに――― 音もなく、ひやりとした感触が喉をつたった。 刀の切先。 土方は振り返ることができなかった。 「お前の群れもなかなかの野犬じゃないか。幕府の狗と思っていたが、どうやら思い違いだったようだ」 声は凜として透き通る。その美しい声に全身が総毛立ち、冷たい汗がつたうのを止められない。すぐ後ろ、桂の息が耳にかかる。・・・笑った。 「お前たちが守っているものは江戸の平和ではない。真選組という、ただの小さなままごとの世界だろう」 土方の頭に血がのぼった瞬間、その鋭い殺気は派手な爆音とともに散った。 「桂ァーーーー!!!それからついでに土方ァァーーーッッ!!!!」 それは真選組随一のサド男、沖田の放ったバズーカ砲だった。 桂の後ろにさらに沖田が控えていたとは。土方は敵味方ともども、完全にしてやられた。土方が振り返ったとき、桂は跡形も無く消えていた。土方さえ気付かなかった沖田の気配を、桂はとっくに悟っていたのだ。 「チィッ・・・惜しかったか。土方さん、なに桂逃がしてるんでィ。職務怠慢でブッ殺しまずぜ」 「テメェのせいだろうがよ!!ふざけんじゃねェぞ!!」 先程まで息がかかるほど近くにいたのだ。 捕えられたはずなのに。 首筋にかすかな痛みを感じて手をやる。どうやら少し斬られていたようだ。そんなことも気付かぬくらい、桂の言葉は土方に衝撃を与え、その自尊心を深く傷つけた。 『ただの小さなままごとの世界だ』 桂の声が耳に残る。 かすかに嘲笑を含んだその声は、その後幾日も土方の中で燻ることになったのだった。 …つづく! |