第二話 「無知と押し付け」 屯所の前では下級隊士が汚物の片付けをしている。 妙な3人組はろくな情報を持っていなかった。時間だけ無駄にして、その上吐かれたのだから、隊としてはいい迷惑だ。その上脱獄した者がいるというので、屯所のまわりは騒然としていた。 しかし土方の興味はまったく削がれていた。 三日前、大使館でテロ事件が発生した。このところ同じ手口の犯行が続いていたので、首謀者にアタリをつけていた真選組は大規模な捜査網を敷いていた。そこにちょうど、桂が姿をあらわしたのだ。 思い出して土方は、小さく悪態を吐く。 先月の夜といい、今回の事件といい、ここのところ土方は、今一歩のところで目的を果たせていない。こんなに苛だちを感じたのは久々だった。土方の心理を乱しているのはただひとつ、桂の真選組に対する一言だった。 何言ってやがる、奴ァテロリストだ。革命家気取りでテロごっこなんざ、よっぽどタチが悪い。おまけにテロリストの癖に侍の世を立て直すだのと、時代錯誤もいいとこだ。あんなものは奴の安い挑発だ。 土方はもう何度となく繰り返したはずの結論に到達してから、いらいらとタバコを揉み消した。 「次は容赦しねぇ。殺してでも捕まえてやる」 強い言葉と裏腹に、その目はひどく憔悴していた。 その日の桂には勝算があった。 屋根から屋根に飛び移りながら、桂は真選組の気配を読む。今夜は月が明るいが、その分追手の気配も桂には手に取るようにわかった。 今は一人だが、すぐに加勢の者が来るだろう。そして何より、幾たびの死線をくぐってきた経験が桂に絶対の自信を与えていた。 追手は五人、しかしそう速くはない。月を背後に、桂は音もたてずにまたひとつ屋根を越える。 この程度ならば、わざわざ刃を交えずとも逃げきれる。 そう桂が確信したときだった。 桂の髪がなびく。目の前にあらわれたのは、先日桂を捕えそこねた顔だった。 「よォ、桂」 月にひかるのは、その太刀よりも野犬の目だった。 先に動いたのは桂だった。 瞬きする間に太刀を靱にすべらせながら、土方の懐中に詰める。桂の刃を太刀で止め、土方は力ずくで桂の腕をなぎ払う。桂は下から斬りかかるが、土方は寸でのところでかわした後に桂の上から太刀を突き立てようとした。しかしその瞬間、桂の顔には薄らと笑みが浮かんでいて、土方にはあの夜の言葉がよみがえってきた。それがいけなかった。 土方の隙をついて桂が間合いを取り下段の構えから鮮かな一撃をくりだした。 「タンマ!!!」 その声は確かに土方のものだったが、桂は条件反射的に動きを止めた。 すると土方は、あろうことか刀を靱に収めた。普段はアドリブにもめっぽう強い桂だったが、さすがにこれにはついて行くことができない。 「何を言っている貴様」 「聞こえなかったのか?一時休戦だ、っつってんだ」 「やはりよく聞こえんな。斬っていいか」 「聞こねぇワケねぇだろうが!アホかテメェ!!」 「阿呆じゃない。桂だ」 桂はなぜ土方が奇妙な休戦を言い出したのか、理解に苦しんだ。 世間話でもしたいのだろうか。それでこちらが隙を見せるとでも? しかし桂は己だけが刀を構えている姿に酷い違和感を覚え、仕方なく刀をおろした。いざとなってもおそらく負けはしないのだから、さして問題はない。 「テメェ、前に随分と良いように俺達を侮辱してくれたよなァ」 「・・・何時の事だかわからんな。というか、侮辱した覚えはない。俺はただ事実を言っているだけだ」 土方の挑発を、桂はだまって聞いた。 土方は攘夷志士がただのテロ集団だと言い、古い武士道を特権だと勘違いしてふりかざしている、とか、そういったことをまくし立てた。桂にとってそれは、本当にどうでも良いことだった。 攘夷志士は、天人によってもたらされた様々な悲劇を取りのぞこうと必死に動いている。しかし真選組は、江戸の街角で起こっている悲劇よりも、攘夷志士を捕らえるために必死になっている。しかしそれは、「江戸の平和」のためなどではなく、真選組の名誉のための行為なのだ。武器や隊の維持に莫大な金がかかっていることも、桂は十分知っている。 その金がどこから出ているのか、この愚か者は知っているのだろうか。 「何が事実だ。テメェこそ時代遅れのままごとやってんじゃねぇか。テロリストが偉そうな口たたくんじゃねぇよ」 土方が息を荒げて畳み掛けた。 二人の間には、斬りかかるにはちょうど良い距離が広がっている。しかし桂はもう斬りかかる気も失せていた。 「お前のような駄犬となど、話をする価値はない」 「何だと?」 「だからお前たちは馬鹿だというのだ。俺達の捕縛ではなく、もっと優先することがあると何故わからんのだ。その刀は何のためにある?チャンバラごっこなら、くにに帰ってするがいい」 「わかったような口きいてんじゃねェ!!」 土方が唸った。桂は土方の思考についていけず、戸惑った。 「一体何なんだ貴様は」 「テメェは武士だ、さぞ良いご身分だろうな。テメェには一生わかんねぇよ、守りたくても守れねェ俺たちの苦しみなんか」 休戦を言い出したのはそちらなのに、卑怯だぞと桂は思った。 思ったところで体が勝手に動き、太刀を避ける。長い髪が少し斬られた。狗は殺気に満ちた目をしていた。そして同時にその目は壮絶に悲しい色をしていた。 桂はこの目を昔見たことがある。 かつての戦場での、友の目だった。 その日、桂をまたも捕らえられなかった土方は、自ら謹慎処分を受けた。桂は仲間の迎える宿での会合に参加しなければならなかった。 月はゆっくりと角度を変えていく。 疲れていた。何も考えたくなかった。 二人はついに眠ることができず、ただ交わしたむき出しの言葉の意味を考えていた。 ・・・つづく! |