第十二話 嫉妬




桂は自分の右手をじっと見ている。ただの何の変哲もない手。わりと節立っているほうだろうと思う。小さな頃から剣を手にとって生きてきたのだ。
不意に、桂の唇の端がゆるく上がる。先日のゲームの発売日のことを思い出したのだ。

その日は、ツインファミコンは手に入らないわ、真選組には遭うわ、あまり良い一日とは言えなかった。だが、そのときの真選組の連中の様子を思い出すと、どうこらえようとしても頬がゆるんでしまう。
ギャルゲーにかまけているモテない近藤、年端もゆかぬ少女と大人気なく本気で喧嘩をする沖田、桂をあの配管工だと信じきっていた、土方。

彼はこれまで、連中の素顔など知らなかったので、新鮮な驚きを覚えていた。あれも、平和を願うただの人間なのだ。くだらなく、幼稚で、どうでもいいことに必死になり、些細な幸せを見出す。それは彼の守りたい者たちや、彼自身に、よく似た姿だった。
土方に握手を求められたときの感じがまだ残っている気がして、桂は何度も右手をさする。
意外に肉厚な手だった。ただの飼い馴らされた狗と思っていたが、毎日稽古をしているのだろう、硬くて肉刺のある、がさがさした手。
不覚にも、少し可愛いと思ってしまった。
あの純粋なまでの頭の悪さがあるから、あんな幕府に遣えていても平気なのだろう。勿体無さに桂は舌打った。あの逸材を幕府が飼い殺しにしているのは実に惜しい。

『どうしました?』

エリザベスが桂を覗き込む。最近は何かとエリザベスに心配をかけてしまうことが多かったので、あわてて首をふった。

「何でもないぞ。……さて、エリザベス。俺は今日も銀時の説得に行ってくる。お前は」

『わかってます、会合に参加してきます』

「うむ、頼んだぞ」

桂はエリザベスの柔らかそうな手から、茶菓子の入った紙袋を受け取った。本当ならばケーキだのチョコレートだの、カロリーの高いものがよかったが、あいにく経費節減の折。甘辛いザラメのついたせんべいの入った袋は、軽く乾いた音をたてた。

『お気をつけて』

桂はエリザベスに頷いてみせ、たてつけの甘い戸を引いた。




インターホンからの返答はなかった。耳を澄ませてみても、中に人がいる気配がない。

「留守か」

桂は静まり返った万事屋に向かって、何度か銀時の名前を叫んでみた。大声で呼んでも音沙汰がない。やはり留守か、珍しいこともあるものだ、と仕方なく踵を返す。返したところで、ちょうど階下から話し声が聞こえてきた。

「なんだい、アイツら、またいなくなったのかい?!……ったくあのバカ男、何度家賃滞納すりゃ気が済むんだろうね」

「仕方ナイデスヨ、サッキ変ナオタクト一緒ニ出テ行クノヲ目撃シマシタヨ」

「変なオタク?」

「ダサイサングラスに、バンダナヲ巻マイタ、キモイ男ガ一緒デシタ。アンナ連中トツルムナンテ、本物ノニートニナル気デスヨ」

「気持ち悪いねぇ。アニメやゲームじゃなくて、現実を見ろってんだよアイツは」

気風の良い大家はそう吐き捨てて、看板娘(?)とともに店じまいに戻っていく。

「……変なオタク?」

桂は首をかしげた。まさか、今の生活よりさらにだらしない世界へ転落する気ではないだろうな。
そうなったら、半殺しにしてでも攘夷党に引きずり込まねば、と決意し、桂は不機嫌を抱えたままいつもの会合へと向かった。

もちろん、彼はこのとき、真選組内で何が起こっていたのか、まだ知らなかった。






真選組で起こった内部抗争の情報は、いち早く桂の耳に届いた。
地下活動では情報がものを言う。どんな些細な情報でも耳に入れる。それが唯一身を守る手段であり、作戦を立てる上での要となるからだ。
真選組内での派閥争いについては、以前から噂が囁かれていた。その派閥争いの渦中の人物、真選組参謀伊藤が京都より帰還したという情報が入ったのはつい最近だ。なにか動きがあるかもしれないとにらんでいたところに入ってきたのが、この内部抗争の知らせだった。
クーデターを起こした伊藤は、局長近藤を陥れ殺害を計画した。そこにそれを阻もうと土方、沖田が剣をとった。結局伊藤のクーデターは、組内で多数の死者を出しただけで、失敗に終わったという。
このご時勢にのんきに内部争いなど、いかにも烏合の衆のやることだ。攘夷党内部でも、いい傾向として捉える見方が多かったが、桂はどうにも腑に落ちなかった。あの土方が、内部崩壊を許すはずがないのだ。

第一報ののち一週間ほど経ってようやく、事件の真相が明らかになってきた。
真選組を鉄の鎖で結び付けていた土方が失脚していたという。
あの烏合の衆の理想を共有させているのは近藤だが、実際に連中を統率しているのは、紛れもなく土方だった。伊藤の策略とはいえ、その男が簡単に失脚するなど、桂には信じがたいことだった。そしてもうひとつ、桂にとっては良くない知らせが入ってきた。

「あの銀髪、間違いありません。白夜叉が関与しています」

銀時が真選組に加勢したのだ。

昔のこととはいえ、銀時は何より信頼した仲間だった。再会してから何度となく勧誘しているが、桂はことごとく断られ続けている。坂田銀時という男は、自分の掟に従って生きている。自分で相当腹を括って決めたとき以外、そうやすやすと剣を抜くはずはない。かつて信頼していた桂に対しても、義理で協力するような男ではない。だがその銀時が、土方に付いたというのだ。
それを聞いた桂の胸には、得体のしれない不快なものが居座り、桂の内側をざわめかせ、引っ掻き、刺し貫いた。
まぎれもなく、どうしようもなく暗い嫉妬だった。

だが同時に、桂の中にぽつりとある考えが浮かんだ。
嫉妬しているのは、果たして誰にだ?銀時の加勢を受けた土方にか?あるいは、土方ほどの男に、そこまで惚れ込まれた近藤に対してか?それとも、土方と共に戦うことができる、銀時にか。

桂は頭に浮かんだ考えを必死に散らした。
多くの情報を整理するのに疲れている。そい言い訳して、彼は新しくデザインを刷新する予定の、攘夷志士タオルの見積もりとにらみ合う。そんな仕事はいつでもだれでもできるというのに、もう一社を見繕って相見積まで取った。できるだけ、真選組については考えていたくなかった。





あくる日、桂は礼によって万事屋を訪ねた。予想通り、銀時はちゃんと万事屋にいた。一応いつものように身体は動いているが、やはり深手を負っていた。

「何しに来たんだバカヤロー。また厄介ごとかァ?もう十分なんですけど」

いかにも迷惑そうな顔をされると、またどうしようもない黒い感情が芽生えはじめる。

「……貴様、真選組に与したらしいではないか」

先日渡しそびれていたせんべいの袋を空けながら、銀時が桂を見据える。紙袋を投げやりに破く音がやけに耳についた。

「それってお前に関係あんの?」

「……いや」

「だったら、なんでそんな怖ぇ顔してんだよ」

「いや」

煮え切らなく、何か言いたそうな桂の様子に、じれた銀時は大げさにため息を落とした。

「俺はアレだよ、依頼があったからよォ。こんなぜ煎餅なんかじゃなく、キャッシュで支払いの依頼ですから?」

「……そうだな」

「ヅラ、お前、本当どうしたよ」

「ヅラじゃない、桂だ。お前に仕事を依頼したのは、あの副長か?」

「……奴にも色々あったみたいよ?妖刀なんかに呪われてオタクになっちまったりな。でもやっぱ、大将とか仲間守るために、必死に足掻いてたみてーだぜ?」

「奴は、お前に頭を下げたのか?」

「のわりに態度はデカかったけど。あれで精一杯だったんじゃねーの?知ったこっちゃねーけどな。それより今回の件、ありゃアイツが絡んでる」

「アイツ?まさか、」

「アイツの船にいた、ヘッドフォンしたにーちゃんがいたぜ」

この様だ、履き捨てるように言って、銀時は腕に這う、細い糸のような傷跡を見せた。

「高杉……」

「たぶん、アイツが裏で糸引いてやがる、なんのつもりか知らねーが、ま、なんとなく察しくらいつくだろ」

「なるほどな。これで納得がいった」

「何?つーーか、マジでなんかあったのかよ?さっきから気持ちわりーんだよ」

「俺たちの中でも情報は探っていたのだが、腑に落ちない点がいくつかあったのでな。だがスッキリした。礼を言うぞ」

「アイツが事を起こす前に動くってか?確かに、今なら近くにアイツがいるかもだけど」

「いや、それは無理だ、こちらとしても正直今アイツを相手にするのは難しい。そして、こちらも内輪で揉めている場合ではない」

「そーかい」

銀時はもうこの話題は仕舞だ、と宣言して、手にした煎餅を噛み砕いた。桂ももう何も話す気にはなれず、ろくな勧誘もしないまま、そそくさと万事屋を後にした。
夕日の迫る空は、ビルだのなんだのに囲まれて、こぢんまりと視界におさまる。斜光はきつく虹彩に反射して、桂は少し目を細める。手前に落ちる影は色濃く、なんとなく今の心情に似合いの風景で、柄にもなく感傷的な気分を強くさせた。桂はまた自分の右手を見る。光に透けて輪郭は赤く染まり、手のひらに刻まれたしわがくっきり浮かび上がった。あのときの感覚は、もうすっかり薄れている。
突然、ぎゅっと心臓のあたりが締め付けられ、桂はこれまで経験したことがないほどの切なさに襲われた。

土方とは、幾度か刀を交わらせたことがある。

まだ青く、感情のぶれも見られたが、それでも土方の強さは身を以てわかっているつもりだ。彼の抱えるやり場のない怒りも、熱も、嫌になるくらいのひたむきさも。プライドの高い男だ。銀時が言ったのはたぶん真実で、彼にとって他人に、それも仲間でもない男に助けを乞うのは、さぞ辛かったろう。しかしそのプライドを捨ててまでも、彼は真選組という御旗を守ろうとしたのだ。その思いはいかばかりのものだったか。
そうまでして想われる近藤が、うらやましく、共に肩を並べて戦える銀時が妬ましい。
あれほどの男が仲間だったら。
ともに江戸の平和を願っているだけばのに、逆立ちしたって相容れない思想がやるせない。思い出しかけたあたたかい感触を振り払うようにぎゅっと手を握りしめる。
光と影の共存している逢魔が時。でも共存しているようにみえるのはまやかしで、二つは決して相容れず、ともにあってもこうしてコントラストを強くするのみだ。

同じ願いを持ちながら、俺たちは一生、共には戦えない。







続く!





いろんなところをサラリとすっ飛ばして申し訳もございませぬ……(ミツバさん伊藤さん)。
言い訳すると、今の原作の土桂においつくために必死です!!;

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