「あなたに首ったけ」(前)





そもそも、三人とも知っている店なのに、そこにウッカリ入ったのが悪かった。


寒いから、という適当な理由で桂を呼び出して、店に入ったのが八時前。
家の連中には「家賃ないからちょっと今日はズラかるわ」なんてちゃっかり口実まで作っていたから、頭のなかは邪な期待でいっぱいだ。
酔いが回ってきた頃には、いつもより態度が横柄になっているのを自覚していた。
そしてそんな自分の調子の良さすら、嫌いじゃないとまで思った。
ひとに見られていないのをいいことに、テーブルの下では戯れに足で小突き合い、いつしかその脚を絡めては目配せする。

あとは、酔いが回って立てないフリをして、「そろそろお前ん家にでも、」と切り出そうと思っていたところだったのに。
桂が中座したので、その間に銀時は、今晩どう攻めてやろうか企んでいた。
だが、桂はなかなか戻ってこない。
遅いじゃねーか、と口の中だけでぼやいてから、座ったまま伸びあがり、桂の消えていった方を窺った。
そして、飛び込んできた光景に、ウッカリ食べたもの全部戻しそうになった。

桂はなぜかカウンターに座っていた。
そして、その横にはあろうことかあの長谷川の姿があった。

長谷川はがっくり肩を落としている。かなり酔っているのか、カウンターテーブルにほとんど突っ伏している。横の桂は、例のごとく直角
に背を伸ばして座り、云云と神妙に頷いている。その柳眉がいつもより吊り上り、眉間にしわが寄っている。

銀時の頭の中に、先日の恐ろしい災難が走馬灯のように過ぎる。
六股かけたと思い木や、それは巧妙に仕組まれたドッキリで、数々のいじめを受けたのだ。
そしてその時の最悪の悪夢。そこで泣きながらクダ巻いているグラサンと一発(あるいは2発)ヤらかしたとか。

はっきり言って全く記憶にない。嘘だと思いたい。忘れたい。
いや、たぶん絶対やってないし、たぶん。
自分に言い聞かせるものの、彼の額にはじっとり脂汗が滲んできた。

数日前、小さなボロい屋台で「ハメたのは、お前だろ」と言った、長谷川の赤い頬と、上擦った声。思い出すと、酔いは一瞬にして吹き飛
んだ。
銀時が冷や汗を流していると、がたんと椅子の脚が床に擦れる音がして、桂が立ち上がったのが見えた。銀時はあわててテーブルに伏せ、
ちっとも酔っていないくせに、泥酔したふりをした。
桂の気配はすぐにもどってくる。
銀時は狸寝入りを決め込んで、しらじらしく鼾まで掻いてみる。

「銀時。ちょっと貴様に話があるんだが」

落ち着いてはいるが、これは相当怒っているときの声だ、とすぐに気が付いた。長年の経験だ。銀時は青ざめた顔のまま、必死で狸寝入り
を続ける。が、瞬間、ドスンという重たい衝撃と共に、テーブルに桂のこぶしが叩きつけられ、思わず目を開けてしまった。

「死んだふりをするな。……貴様に合いたいという奴がいるんだ」

「な、なんだよ、そんな奴、知らねーよ」

「いいから来い」

「やめろって、」

「うるさいっ、早くしろォォ!」

桂は銀時の首根っこを鷲掴み、その馬鹿力でぐいと無理やり引っ張った。だが銀時も必死に応戦し、引き剥がされまいとテーブルにしがみつく。安い作りのテーブルは盛大に音を立てて揺れ、焼酎と日本酒が容赦なく銀時の頭に降りかかり、酒浸しにした。
梃子でも離れない銀時に業を煮やしたのか、桂は突然パッと手を放した。だが銀時がほっとしたのもつかの間、桂は銀時の脇腹を思い切りくすぐりはじめた。
これには銀時もたまらない。ギャッと叫んで、身を捩る。けれど適格にツボを突いてくる、勝手知ったその指に翻弄され、つい笑い転げてしまう。
口ではやめろと言うのだが、全身勝手に脱力し、その隙をついてあっという間に捕まえられて、長谷川の元へ連行された。

事情はすべて長谷川さんから聞いている、と、はじめに桂はそう言った。
目の前には、しこたま飲んで泣きまくった後の、気持ち悪いオッさんが洟をすすりながら座っている。

「……なんの話だよ」

「しらばっくれるな。貴様、先日長谷川さんとチョメチョメして、散々遊んだ挙句に打ち捨てたそうだな」

「ヅ、ヅラっち、いいよ、もういいから」

銀時をきつく睨み据える桂を、長谷川があわてて止めに入った。その仕草がやたら女子っぽくてぞわっと鳥肌が立つ。

「何言ってるんだ長谷川さん。泣き寝入りなんてダメだぞ。きちんと銀時にも責任を取らせねばならん」

「責任なんてそんな、大げさだよぉ」

「大げさではない。長谷川さんは傷ついたのだろう?!」

女子的なやり取りに気が遠くなりかけていた銀時の眼前に、いきなり桂の顔が現れた。

「そういうことだ。長谷川さんをキズモノにしおって、貴様一体どう責任取るつもりだ?!」

数日前に繰り広げられたやり取りと既視感を覚え、銀時は頭が痛くなってきた。
多分二人とも頭がおかしいのだ。
桂の妄想癖は恐ろしい。そんな桂に余計なことを吹き込みやがって。これだから酔っ払いはたちが悪い。
完全に自分を棚上げしながら、銀時の怒りは頂点に達した。

「さっきから意味わかんないんですけど? 大体、責任とかキズモノってなんだよ、いい年した、かろうじてだけど所帯持ちのオッさん相手に何言ってんだバカヤロー! 気色ワリーんだよ! つーか、何もしてねーし。全く覚えてないんですけど!?」

「覚えていないだと?! 貴様それでも武士か!? ああ、許してはおけん。長谷川さんが可哀想だ!」

「つーかなんでテメーは俺のこと疑ってんの?! ありえねーだろ。なんでそんな長谷川さんを庇ってんの?!」

銀時の強い口調に、ぐっと桂が押し黙る。一度何か言いかけて、それから口をへの字に結び、ムスッとそっぽを向いた。
いやな沈黙だった。

なぜ桂は銀時を疑っているのか、銀時にはさっぱり理解できない。一応、あれやこれやと濃密な仲なのに、どこの馬の骨とも知れない酔っ払いの戯言を真に受け、こちらを疑っているのが気に食わない。
百歩譲って、「浮気された」と怒るのは仕方ないとしても、何故長谷川さんを庇うのか。
考えれるほど腹の底がムカムカしてきた。

その時、長谷川が、もういいんだ、と小さくこぼした。

「もういいって……ダメだ長谷川さん、もっと自分を大事に」

「いいんだヅラっち。これ以上、ヅラっちに庇われるのは、辛くなるからさ……」

「長谷、川さん…?」

長谷川はまたずずっと洟を啜った。

「実は、前から気づいてたんだよ、二人が付き合ってること。だからあの夜のことは、ヅラっちに悪くて言えなくて。でも、何の謝罪もない銀さんの態度が悔しくてさ……」

グラサンの下から大粒の涙がこぼれて、カウンターにぼたぼたと大きなシミを作る。

「ホントは言うつもりなんてなかったんだ。でも……酔いすぎちゃったみたいだね、ゴメン、ホントに悪いことしちゃったよ。特にヅラっち、ほんと、ゴメン……!」

「……長谷川さん……」

桂は沈痛な面持ちで長谷川を見つめていた。そんな二人の様子に、銀時も、とりあえずいろんな衝撃的な長谷川の告白へのツッコミも忘れて、胸を痛めた。
でもやっぱり、記憶にないのに自分が悪者みたいになっているのこの状況は、逆立ちしてたって納得いかない。

「あのさー。俺がホントに長谷川さんに、あー、その、ナニかしたなら……悪かったって。でも、マジで覚えねんだよ。ぜってー違うって。大体、長谷川さん相手に立つわけねーじゃん」

銀時は自信たっぷりに言い放ったが、長谷川がその言葉に顔を上げ、自嘲気味に笑って口を開く。

「あのとき、銀さんずっと、ヅラっちの名前呼んでたよ。これもホントは言いたくなかったけど……俺なんか、今まで聞いたこともない声で、何度もさ…」

「イヤおかしいってェェエ! どうやったらアンタとヅラを間違えんの?! どう頑張ってもねーだろ、それは!」

銀時が突っ込みを入れた瞬間、桂はすっと横切った。そのまま先ほどのテーブルに向かい、懐から財布を出した。

「おいヅラ、テメー何やってんだよ」

「俺は用事があったんだ、帰る」

使い古された手提げを取って、代金をテーブルに置く。

「店主、騒がしくしてすまなかった。……邪魔したな」

桂は二人を振り返らなかった。

引き戸のしまる音が、やけに大きく銀時の耳に残る。揺れる暖簾の先を、睨むように見つめた。

「銀さん」

呼ばれてカウンターの長谷川を振り返る。

「なんで追っかけないんだよ?!」

「なんでって、あいつが勝手に勘違いしてるだけだろ」

「銀さん! 一番傷ついてるのは、俺でもアンタでもない、ヅラっちだよ? 確かに、酔って間違えて俺に手を出した銀さんはダメ男だ。俺なんかよりもすごい、極悪のマダオだよ」

「極悪のマダオって何? ねぇソレやめてくんない?」

「でも、桂さんの傷はアンタじゃないと癒せないんだ! だって、あんなふうに桂さんのこと優しく撫でてやってるんだろ? 二人が昔からずっとそうだったことくらい、俺にはわかる!」

「うっせーんだよ! ソレ、長谷川さんが酔いすぎて見た幻覚だから!俺がなんかヤったこともまるっと全部含めて!!」

「銀さんの馬鹿馬鹿!! とっとと行けよ、早くっ!!」

長谷川はいきなり立ち上がり、銀時を拳でぶん殴った。
不意を突かれた銀時は派手に吹っ飛んで、近くの椅子にぶつかり、椅子ごと派手に引っくり返った。

「ってェ……!」

「早く行って、ヅラっちを幸せにしてやれ」

涙を流し、噛みしめるように長谷川が諭す。今までの女子っぽさがうそみたいに、悔しいけど、そして全く意味が分からないしりふじんだけど、やたら格好良く見えた。
銀時は一つ舌打ちして起き上がり、無言でテーブルに戻る。
すると、そこにはちゃんと飲み代が置いてある。
きっちり二人分。
それを見た途端、銀時の胸の奥が、つぶれるようにぎゅっと痛んだ。
クソ、と悪態が口を突く。
短くため息を落として、口を引き結び、銀時も夜の街に駈け出した。




残された長谷川は、そんな二人を見送った後、おしぼりでごしごし涙を拭った。

「これでよかったんだ。俺は二人が仲良く幸せでいてくれるのが、一番嬉しいんだ」

そう、小さくつぶやいた。
そのとき、カウンターにすっとカクテルグラスが差し出された。
驚いた長谷川が顔をあげると、捻じり鉢巻きの店主が

「あちらのお客様からです」

と気取った声で左を示した。
その先には、ビン底メガネにオレンジの帽子を小粋にひっかけた、浅黒肌の銀髪男の姿があった。

「君の優しさと、素敵なグラサンに、乾杯」

そういって武蔵っぽい彼は、ゆっくりグラスを傾けた。

別れがあれば出会いもある。
それが歌舞伎町だ。
口にしたカクテルはほろ苦く、傷心の長谷川にはあつらえ向きだった。




続く


じゃっかんの銀マダですスミマセン。でもゆるぎなく銀桂ですんで。
この三人のトライアングラー
つづいちゃいますスイマセン…^^
続きはしょうもないあほえろです^^^^

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